アニメ等の映像作品への見方について〜アドルフ・ラインハルトの死を見た感想〜

雑記

あなたはアニメを見るとき、何を主眼に置いていますか。

初めに言うとおそらく私はアニメだけでなくさまざまなものに芸術性を求めているのです。それは絵などの問題というよりはその構成、展開、素敵な言葉、そのあたりのことです。

先日私はテラフォーマーズを見ました。まだ途中です。

隣にはこのブログ運営を手伝ってくださるS氏がいます。S氏はすでにテラフォーマーズは見終わっているそうです。

私が「アドルフ・ラインハルト」がみんなを庇って戦った挙句死んでしまい、助けたかった仲間さえも死んでしまうという回を見た後です。

「そのシーン辛くない?俺それ見た後半日くらいいろんなことが手につかなかったもん。」

かなりこれは素敵な、そしてストレートな意見だなと思います。なんだかピュアですよね。しかし私にはこの考え方ができなかったのです。

私はこのシーンをかなり気に入っていたのです。確かに当事者視点で見たら辛い、となってしまいます。しかしここまで人を死なせ、アドルフはかなり不遇な人生を回想しつつ、死んででも守った仲間は自分の体内に仕込まれた爆弾によって爆発して死んでしまったというどこにも救いのない結末を、ただ精神的な美しさのために描けるということが凄いと感心しできるのです。

その部分の、心、精神、誠意そういうものたちを美しく描くために一切の妥協をしていないのです。私ならここまでしないというところまで表現されていました。

おかげで私から見ると凄まじく綺麗な終わり方でした。美しい死に方だったのです。潔く、そして誠実に、死ぬことに含まれた意味が桁違いだったのです。もしあの状況でアドルフが生還したりあるいはその仲間が爆発する彼の元を離れていたらそれはなんだかちがう。

皆死体になった彼に対しても強い誠意を持っていたのです。

素敵なシーンでした。

そう言うと、S氏はとても悲しそうな顔をしました。そして「なんだかこういうとき素直に共感できないのって悲しいよね」と言いました。

確かに彼の気持ちは理解できます。でもどうしても彼と同じようには思うことができないのです。それで私も悲しくなります。分かり合えないということがどれだけ無力感を呼び込むかということを虚しくも受け入れるよりほかありませんでした。

どうしようもないのです。持って生まれたのか、育って得たのかわかりませんがとにかくそういうふうに思ってしまいます。

なんだか、妙な第三者視点というか、物語の展開を批評してしまうというか。そこに美醜という判断基準をもって触れることになってしまうのです。少なくとも映像作品においては。本であればまた違いますが。

でも彼は違います。純粋にただ登場人物らに感情移入しているのです。だからバットエンドは苦手なわけです。

私は悲しみ至上主義的なところが少なからずあるので、どうも暗い展開に美しさを感じてしまいます。

色々な楽しみ方があるし、色々な観点がある。おそらく全部受け入れて優しい同意の言葉を根が掛け合えたら良いのでしょうけれどもそうもいかないのが人間であるのでしょうね……。

それでは今回はこんなところで。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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