大学を休学して若い時間を自由に使ってみようと思います。

雑記

 こんにちは。久しぶりの投稿になります。5月21日に開催される文学フリマ東京への出店に向けて原稿を書き、その推敲をするのが忙しく、なかなか更新できていませんでした。

さて、4月から大学が始まったわけですが、やはり通うことができませんでした。自分の起きたくない時間に起きて、いきたくない場所に行き、したくないことをする。九十分間という長い時間を(本を読んだり寝たりしていてもよいとはいえ)、真っ白なつまらない空間に閉じ込められる憂鬱。何だか勿体無いと感じました。それに半年や一年休学したところで、長い人生、まだ若いのだし、何とでもなるとそう思ったのです。

最近よく「若さ」というものについて考えます。若さは有限で、しかも若さは万能すぎることに気がついたのです。万能である輝かしいものが確かな有限性を持つということは、いかにしても悲しすぎると思うわけです。

若さゆえに今があるように思えてしまうのです。私が若くなくなったとき、「若い人」ではなくて「人」として見られるようになったとき、私自身に本当の価値が備わっていなくてはならないという危機感に苛まれ始めたのです。

そこには教養と知識と好奇心と女としての美しい振る舞いがきっと必要で、私は若さというアドヴァンテージを持っているうちにそれらを身につけなくてはなりません。

私はこの休学というモラトリアムの中でそれを精一杯身につけようと思います。そしてその中で一生懸命文章を書きます。

この文学フリマが終わったら、今度は秋の群像新人賞と秋の文学フリマに向けて、今の生活から生見出しうる文章を真剣に書いていこうと思います。

「ごく普通である」という自分自身の出身をコンプレックスと捉えている私は、この一年で随分とその生活様式を変えました。

実家を出て自分で生計を立てることや執筆活動への熱量を増やすこと、それからシーシャという新しい趣味(居場所?)が見つかったことなど実質的なことはもちろんですが、観念の中で私は随分と変化したように思います。

普通であるとみなされないために何が必要なのか。また、自分自身とはどのような人間なのか。そのことを、絶え間なく考え続けたように思うのです。

ですから次の作品では、私自身の「普通」からの逃避行をフィクションに乗せて描けたらと思っています。

実は今から次の構想を考えてワクワクしているんです(笑)執筆中心の生活ができているなあと、何となく嬉しいです。

それでは今回もお付き合いいただきありがとうございました!近況報告でした。

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