途方もない暮らしの中で文章を書き続けること

雑記

やっぱり、数日ブログを書かないと気持ち悪くなってくる……。

私が私でなくなっていって、まさにあの、『スプートニクの恋人』の”すみれ”が言葉を紡ぐことから離れていくときのさびしさみたいなものを感じないわけにはいかなくなってくるのです。

そのため私は始発の山手線に乗りながら、バキバキに画面が割れた旧型スマホを握りしめて、申し訳程度の文章を書いています。

今、本当に怖い。

アルバイトが奇妙に楽しいのです。仕事は全てつまらなくて辛いものだと思っていたのですが、そうでなかったことが、ものすごか怖いのです。

ミュウとの仕事を楽しみはじめたすみれが何も書けなくなった(書く必要がなくなった?)ような不安があるのです。

厳密には、きっとこの不安を抱くうちは大丈夫なのでしょう。この不安を忘れたとき、何が起こるのか、それが恐ろしいのです。

何もかもが、全て途方もなく、不毛な寂しさみたいなものに変わっていく。
これは現実を生き抜く私には苦しいことだけれど、文章を書く私にはまさに砂漠のオアシス的価値を持っていて、必須アミノ酸的価値も兼ね備えたような、まさに栄養分であるのです。

私には現実問題として金を稼ぎ食事をする私と、食事も風呂も洗濯もなにもかもをしないで、ただ綺麗な言葉を紡ぐしか脳がなく、それでいてそのことに命をかける私がいるのです。

そして、その二つの私が必要としているものは全く反対のことなのです。

途方もない人生ですよね。

と、こんなことを考えるのは私が毎日毎日都会の真ん中で夜を明かすからでしょうか。

でもきっと私は、これだと思うものが書けさえすれば、多少の苦労を背負っても全て受け入れられると思うから、文章を書くしかないのです。なんだかもう、やりたいこと、とか生ぬるいものではなく、「言葉によって自分の人生に意味を与えねば」というある種の強迫観念です。

そんなたいそうなことをいいましたが、別に最近大したものは書けていません。
気持ちばかり、焦って、焦って。
ゆっくりですね、なにごとも。

みなさんそれじゃあ、おやすみなさい。

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