高校受験、そしてその先の進路。ただ跳ねるボールを打ち返すことだけを考えていた唯一無二の青春時代。

プロフィール

 前回の部活動の話の続きだと思って読んでください。もちろん、受験のことで悩んでいるあるいは受験のことの方が気になるからこの記事だけ読みたいのだという方はこの記事だけ読んでいただいても結構です。一応下にその記事を貼っておこうと思います。

それでも理解できるように書いていこうと思います。

当時。中学生の時です。私は、厳しくそして暑苦しく、くだらない人間関係の闇に半身を突っ込んだようなテニス部で一生懸命日々を生きていました。

生きていたというと、なおさらその時間を無駄にしたという感触が残ります。「一日」という時間は人生の目的を見つけていてもそうでなくても、同じように流れ、同じ価値を持つからです。

しかし、当時はあと先のことなど何も考えず、ただレギュラーになることを目指していました。そういう時間も体力増強と経験談としては良かったのでしょうが、あまりにも何も見えていない自分による選択だったのでなんとなく納得がいかないといった心地なのです。

本当に、一年や二年先の進路、自分の行くべき道、何ひとつとして考えていなかったのです。ただ、跳ねてきたボールを打ち返すこと。それしか考えていなかったというわけです。

全く愚かなものです。自分がどういう人間なのか、あるいはどういう人間でいたいのかということにすら気がついていないのです。

それゆえクラスの中での人間関係もまるでうまくいきませんでした。皆と揉めたりいじめにあったというわけではありませんでしたが、ただ自分が、なんと言っていいかわからない不快感を抱えながら、「いじられる」ことが多かったということでしょうか。

この中学校の時の立ち位置に嫌気がさしたのはこれも高校に入ってからでした。読めもしない周りの空気を読もうとしたばかりに我を見失っていたのです。

そんな日々の中で余計に先のことは考えられなくなっていました。

おまけに警察官であった祖父は私のことをすごく評価していたため、私にしきりに警察官を目指すように促しました。

(今では信じられないが)私もどうせ確固たる希望はないのだし期待に応えることの方が重要な気がして警察官になろうかと思っていました。

そして直近の進路は、まず大学に行けば間違いない上、そうするものだろうから、大学に行くことを考えた進路にしようと思いました。

そして進路指導の手厚い私立高校に入るべきだと思い、そのような選択を取りました。

しかし、それではいけなかったのです。

祖父のことも、自分のことも、良い結果には導かない選択だからです。自分で真剣に考えなくてはならないのです。

私は高校に入り、自分で自分とだけ戦う勉強を実践しました。一人で毎日机に向かいました。その中で集中できない日などにはよく自分との対話ができました。

すると、自分の考えの浅はかさもわかり、その上私が進むべき道進みたい道も明らかなものとなっていきました。

時に、どんなことでも良いけれど、何か決めて机に向かって一人で自分のためだけに努力することが重要なのだと思います。

それが自分の思考を開き、自分の行く道を示すはずなのです。

孤独を体験しないでいるうちは、既製品のスーツを着るしかないのです。オーダーメイドなど不可能です。

既製品の人生なんていやですよね。

私は切にそう思うようになりました。そして今度はその目的のために強い意志を持って勉強をすることができるようになったのです。

振り返ると、全てがコンボして私をスタートラインに持っていってくれたのだと感じます。

それゆえこれからも努力を怠ってはならないのです。今悩んでいる方も、今まで悩んできた方も、これからもじっと自分に向き合い続けることができるといいですよね。

それでは今回はこんなところで。

今回も、ここまでお付き合いただきありがとうございました!

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