休日も化粧をする理由

プロフィール

 起床すると、私はまず顔を洗い歯磨きをします。そして一日のはじまりを浄化するのです。

私は極度の低血圧でおまけに自律神経も万全の状態ではないので、基本的にあまり元気はありません。

それに、ここまででお察しになっていると思いますが、朝にはとても弱いです。起き上がっただけで耐え難い目眩がします。だから慎重に起き上がらなくてはいけません。時間をかけてゆっくりと。

まったく面倒な体だと思います。

そんな朝(ここでの朝は寝起きの意である)は常に何か煙の中にあり、時には霧がでたり砂塵が舞っていたりもします。私はその中をぼんやりとした頭を頼りに水道まで歩き、顔を軽く洗って歯を磨くわけです。

歯を磨いているとそのわずかな運動の所為なのか、はたまた独特の清涼感のためなのか、なんだかそのあらゆる靄が退いていくように思えるのです。それゆえ私は歯磨きという行為が好きなのです。

そしてその後、なにか作業に入る前に必ず化粧をします。しないことには前に進めないのです。それは私が「完全な私」を追求しようとしているということがある種の要因になっているのかもしれません。それについてはいつかプロフィールのカテゴリにでも記事を書いて載せてみようとは思っています。

それはさておき。化粧をして、いわば自分というものに秩序を持たせるということ。それが私にとって重要なことなのです。

頭がどれだけ良くても、素敵な発想が浮かんでも、言葉が操れないことにはその成果はどこか混沌の果てに置かれてついには誰の目にも触れないということになってしまいます。それと同じことなのです。

頭の中、あるいはそれとは逸脱した精神の中にどれだけ異才さを帯びた考えが浮かんでも、それを統御する自分という切っても切れない肉体が混沌の中にあってはそれは何にも還元されない、どこにもいけないいわば閉じ込められた思想になってしまうのです。

それは避けなくてはいけない、ほとんどあらゆる場面において自分の精神を使い、それを体という秩序だった媒体をとおして何かに作り替えていく。その作業をすることをやめてはいけないのです。

多分、作家になるということはそういうことだろうと思うからです。

そのために私は、毎日化粧をします。フルメイクではないかもしれません。それは、ポイントメイクでも良いのです。

とにかく秩序を設けられるなら、それで良い。その境界線を超えていく化粧というのは、もっと他に実利的な目的を孕んでいます。

例えば、職場に行くのにきれいにしていかなくてはならない、彼に喜んでもらいたい、今日は出かけるから私は自分自身を美しく保っていたい、など。

私もそのようにして力の入れ方は毎度変えているように思います。

毎日化粧をするということには、少なくとも私にとって一定の意味はあるのです。たとえ毎日化粧をすることでその道具は消費されてしまうので無駄になっているとしても、それは財つまり実利的な無駄なのであって、私という精神にとってはなんら無駄なことはないのです。

この件だけでなく、あらゆる物事においてそのように、自分の中核のために有意義な行いをできたら良いですよね。

では今回はこんなところで。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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