睡魔の中での愚考

雑記

とてもとても眠いので驚いています。それも、ここ最近多大なるストレスのかかる大事件が起き、不安感焦燥、恒常的な抑鬱状態、そんなものが度重なった結果全くよく眠れず、不眠状態だったのです。

眠くなるという現象自体、ご無沙汰でした。眠くなることがあるとすれば、それは限界までお酒を飲んで体全体が気だるく感じる、そんなときのみであったのでした。

しかし今日はというと、動かなくてはならない日で、今もバイトの前だというのに眠くて眠くて仕方がない。

昨晩は確かにすっと眠りにつくことはできました。もらってきた鼻炎の薬(私は花粉やダニなどのひどいアレルギーなのです)が眠気の出るものだったからです。

ここ最近では珍しく六時間くらいは眠れたのです。まさかその薬が残っているのかな……。さすがにないか……。眠いっていうのは不思議な感覚ですね。久々なので、なんだか少し面食らっています。

眠い……。

頭があまりはっきりとせず、物事に対する正当な判断能力が欠如しているように思われる。しかしその分、どれかひとつのことに思考を絞ればうまくのめり込める脳の調子であるようにも感じます。まるで虫眼鏡で覗きながら、人生を過ごしているみたいな妙な気持ちになります。

現に私は今、ここ一ヶ月間ほどの間で最も眠い瞬間をいっときいっとき過ごしながらも、こうしてブログを書いてみているのです。

ここ最近は気分が落ち込み、あまりブログを書く気にすらなりませんでした。しかし眠くなった途端、なぜかブログを書こうと思えました。もしかすると、他のことに関する思考力とともに感情に対する感度も少し鈍くなり、こういういつものエッセイみたいな文章を書けるようになったのかもしれません。

今日という日の話でもしようかな。

起きた瞬間から眠い日でした。いつか誰かが「酸素が足りないと眠くなるから、起きがけに深呼吸をした方が良い」と教えてくれたような気がしたのでやってみました。眠いままでした……。

毎日起きるとすぐにコーヒーを淹れるのですが、今日は紙コップを切らしていて断念しました。←これも良くなかった……。

そして身支度を済ませ、外出しました。

起きたのが14時ごろ、家を出たのが15時ごろで、今日は数日前に取れたネイルの石を修理してもらう予約を入れていて、それが17時前には片付く用事であることは明白でした。

それが終わり、近くの喫茶店で以下の不運発生。

しょげましたが、やはり体が重たく眠いせいかあまりその寂しさがピンときていない感じが自分でもわかりました。

本当だったらもう少しむっとするかもしれません。いや、でも私は普段から非常に怒りという感情を抱かれることには随分神経質なのに自分がそれを持つこととはとんと距離を置いているから、それでもむっとしないかな……。

けれどとにかく、ついてないな……といつもならもっと真剣に肩を落としそうではあります。

しかし、「こんなこともあるか」と受け流している自分を、自分自身が発見して驚いたのです。

そしてコーヒーを飲みながら、キリの良いところまで本を読んでは考えごとをする、という作業を続けました。

眠くて判断能力は鈍っている。なんだかなんとかなるような気がしてくる、でも実際に第三者からも私を見たら、完全に眠そうな目をして体幹も斜めになり、今にも眠ってしましそうな人だと思われているのだろう……。思考が深くなってきた、眠い。

そんな感覚の言語化(平たく言えば考えごとをしているのだけれど、そんな大層なものではないというなんとなしの烏滸がましさがあるのでこういう言い方をした)の中に潜っていくとそのとき私はふとこわくなる。もう戻れないんじゃないかと思う。

思考の奥の奥に潜って、そこから言語を拾ってそれを上に引っ張られていくバケツに入れて地上に送る。私はどんどん潜って、潜って……。でもその潜る先は本当に正解?例えば君や、彼や、彼女が潜った場所と違うなら、私は一生君たちの感じたことの正体を知らないままになっちゃうね。

それがこわくて私はいつも戻れるところまでしか潜れない。でも少し今日は眠くて、それと同時にばかなので、私は気がつくと、少し潜り過ぎていた。

はっと気づくとサブウェイでこの文章をタイプしている。

ばかみたいだなあ。

いや、ばかです。

なんで生まれてきたのだろう。

わからないけれど、とにかく文章は書きたいです。

自由に書き続けたいです。

でももうなにも書くことがなくなってしまえば、それはそのまま私にとっては死です。

それくらい、現実の生活は私のような軟弱者の箱入り娘にとってはひどく辛いように思われるのです。

実生活に身を置くには私はあまりにも弱いです。

夢の中でなら、ちょっとは長く生きられるかもしれません。

先のことを考えると途方に暮れます。

悲しくてしようがないのです。

せめて誰かをちゃんと愛してみたいけれど、そういうものもいつもなにかの幻影みたいに思えて、私の言語化ひとつで「好き」にも「嫌い」にも「愛してる」にも「死んでくれ」にもなる気がしてこわくなりました。

それは身に余る権利のように思えたからです。

いつか心から母に、「生んでくれてありがとう」と言えたら良いと思う。

私はみてはいけないものをみてしまったのかもしれません。

もしそうじゃなくて、みんなこう思いながらも平気に笑って生きているのなら、それはちょっとあり得ないと思うのです。

やれ、三分の一ほど眠りに足を突っ込んだ状態で書いた文章はいかがでしょうか……。

私も眠りの影が完全に立ち去った後、これを読んでみることにします。

それでは、今回もここまでお付き合いいただきましてありがとうございました!

ではまた。

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