東京オリンピック。感動を味わい勇気を得られるという意見は本当だった。

雑記

今まで私はいわゆる「スポーツの力」を信じていなかったように思います。

確かに傲慢さが窺える選手もいることにはいます。また、何か勇気を得られることもない試合や選手だっています。

しかしそれは選手だけではない。あらゆる物事に従事する人びとはその分野の中で、そういう存在になれたりなれなかったりする。だからそれは関係のない話で、ただ今まで私が感じてきたのはそうした批判ではなく、単に彼らがどうあろうがそれは私には関係ない話だと思っていたと言うだけの話です。

日本の皆さんに勇気を与えるなどということは私が小説やブログなどの文章を書くことで皆さんに勇気を与えたいと思うことがおこがましいことであるように、選手たちのそれも同じことだと心のどこかでは考えていたのかもしれません。

しかし何故でしょうか。私たちの親世代は特に必ずオリンピックを見ているように思います。

例の漏れず私の父母もオリンピックを見ていました。今日は女子レスリングの川井選手(お姉さんのほう)の試合でした。決勝戦です。

二人は食い入るようにして試合を見ています。私もその試合を見ていました。

私でさえ、彼女が妹と二人で金メダルを取るといっていたことを知っています。しかも前日には妹の方が金メダルを取っているという状況の中での試合です。

私は本当にあがり症なので(ピアノの発表会さえ緊張していつも失敗していた)、そこまでプレッシャーのかかる場面でどうなってしまうことやらとこちらが固まってしまうほどです。

しかし試合はいかにも堂々たるもので、機敏な動き、鋭い眼光。いかに集中できているかが目の前で見ているかのように伝わる。

感心しました。この人は本当に強者なのだ、とそう思いました。

私は彼女を見て釘付けになってしまい、その後のインタビューからも目が離せませんでした。多くのオリンピック選手がカメラの前で、ちょうど店員がいらっしゃいませと言うように義務的な感じで息を切らしつつ「まずは周囲の人や応援をしてくれた方に感謝を述べたいと思います。」と言うところを、「まず思うことは」と聞かれて素直に本当に素直に「こんなに幸せな日があっていいのかという気持ち」であると答えているシーンを見てやはりこの人は強者であり自分の大好きなレスリングにも自分の夢にも誠実な人なのだと思いました。

そして「プレッシャーがなかったといえば嘘になるけれど、そういうものも乗り越えていける人にならないといけないと思っている」という言葉も吐いていました。

初めの言葉の後にこの言葉を聞くと、彼女は本当に見せかけのスポーツマンシップなどというものではなく、本当にそこにある夢とそれに見合う自分を真摯に実現しにいく人間なのだと思いました。

どこか私に響くものがあったのです。

私も本当に夢を実現しようと思うなら、プレッシャーやそれに続く道のりでの困難や障害を強い気持ちで乗り越え、拾うものを拾い捨てるものを捨てられる強さをもたなくてはいけないと思いました。

同時に私にはそれが足りないこともわかりました。

彼女は私のことを知らないけれど私も彼女のように夢をかなえ、そう強い言葉を誠実な心をもって誰かに伝えたいと思いました。

彼女もまた次のオリンピックまで修行に励むのでしょう。

私も徹底的に夢追い人にならなくてはと改めて思う。

オリンピックが、川井選手が、力をくれた。素敵なことだと思う。東京でオリンピックをやることには少なからざる意味があったのかもしれない。

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