ふと思い出した、厳格極まりない祖父のメールについて語ろうと思う

雑記

  私の祖父は本当に厳格という言葉の似合う人で、かつては警察でバリバリ仕事をしていたのだが、現在は退職してぼちぼち大学に講義に行ったり行かなかったりしながら過ごしている。

そう、思っていたのは最近までのことでした。最近はただの頑固。「厳格」という言葉の持つイメージほど洗練されてはいない。

皆その地位と能力に惑わされてしまうのだと思うのです。確かに韓国語も中国語も英語も話せて法律には大変詳しく、高卒で警察に入ったにも関わらず幹部にまで上り詰めた、そういう類の才覚はあります。

祖父は初め私に大変期待しておりました。有名な法学部に行って警察に入ったらいいじゃないか、と。

私は高校生の頃生徒会長で、学内では成績も悪くなかったから。結果論で評価されてきたから他人のことも結果論で評価したがるのだろうと思います。

しかし今の私を考えてみてください。(笑)

そこそこの大学の文学部に入学し、このブログを設営して自分の好きなことを好き勝手に書きまくり、読書や映画鑑賞を趣味として、極めつけには小説家になりたいと言いながら原稿を書いている。バイトはついにフリーライターとバーテンダーになってしまった。

祖父はそんな風に私流になっていく私をうまく受け入れられなかったようで、私には期待しなくなり反対に否定するようになりました。

しかし私の思う私と、祖父の思う私は違うのです。

私からすれば、私にはとても警察のような縦社会でうまくやっていけるようなベクトルの能力はないし、危険を冒せるような度胸はない。運動神経も特に良くはない。そういう認識なのです。

しかし祖父は、私は中学時代テニス部だったのだしやろうと思えば運動などできると思っている。生徒会長としてリーダーシップも取れたのだから社会に出てもきっとできると思っているのです。

でも、テニスは私にとって大変困難を伴うことであったし(そのわりに成果は出なかった)、リーダーシップは少しは持っていたのかもしれないけれど、もっとうまくやれる人がいるということは確認せずともわかるくらいにはうまくできていなかったように思うのです。

とにかくそんな背景があったので、それ以来祖父は私のことが気に入らないようでした。私としてもそれまでは祖父と話す時「はい」「ありがとうございます」しか喋らなかったのですが、はっきりとしたヘイトを感じると、こちらもヒートアップしてしまいました。

そんなある時、メールは送られてきました。

「あなたの母親のことはしっかりと大切にしなさい」という趣旨のメール。

祖父には私の母を含め二人の娘がいますが、特に長女である母のことを可愛がっているのです。一度目は「はいわかりました。」と返しましたが、この趣旨のメールは一定のスパンを開けながら3回ほど送られてきました。

3回目には「母を敬え」とまで。

私はいよいよ頭にきました。私と母には私と母なりの付き合い方がある。年に二回も会わないような祖父にわかるものだろうか。私が期待外れの存在になったからといって、私そのものの人間性を疑うのは違うだろう。

それに「敬う」を強要するのは違う。母と私の仲は良いけれど、それは友達や兄弟のような意味においてということであって、親として距離をとり敬うという意味ではないのです。

私は思った通りにメールの文面を打ちました。そして送りました。

すると祖父は大変怒ったメールを私に送り付け、私もそれに対抗し、仲違いして終わりました。

それ以降話していません。

結果決別に近い形になってしまったので失敗だったのかもしれませんが、以前の状態のまま放置するのもどうかと思ったのです。

祖父にはわからないだろうと諦めて意見を表明することもせず、温和に温和にと打算的に関係を続けるのも間違っているように感じたのです。

どうしたら賢かった、ではなくどうしたら正しかったのだろう、と今でも時々思い出して考えます。

今日はふとそれを思い出したので、記事にしてみました。

何か意見や考えがありましたら是非ともTwitterのコメ欄にでもコメントしてみてください(^ ^)

必ず返信いたします。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました( ´▽`)

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