ナスの揚げ浸し。これは私にとって高級品といっても良いものでした。天の恵みでもありました。それは子どもの頃、キッチンには入れない時代の話です。
どうしてか。
別に貧乏でナスが買えない家だったとかいうわけではありません。ナスは買えるのです。しかし母はひどくめんどくさがりで、殆どの場合は作ってくれませんでした。しかし私はこの料理がとても好きだったので、随時食べたく思っておりました。
しかしその願いを叶えられるのはただ一人。母だけだったのです。自分の力ではどうにもならない問題であったのです。
しかし流石に時は経ちました。私には余裕が生まれ、そして判断能力もつきました。要するに、料理を作るに値する人間になったということです。
そこで。
最近よく地域の農協の直売所に行って野菜を買っているのでついでにナスを買ってみました。何を隠そう、そのナスがとても新鮮で大きくて二個入って七十円だったのです!
買うしかありません。もう子供ではないのです。買うしかない。そしてあの料理を作るしかない。
そう思いナスを購入し家に帰ると、調理を始めました。残念なことに私は生姜を買うことを忘れてしまったのでチューブの生姜になってしまいましたが……。
母は初めからこの料理を作ろうと意気込んで買い物をしてくるのでこういうミスはなかったな。
しかし、作ってみると意外と簡単でした。ナスに切り込みを入れ、温めた油がたくさん入ったフライパンに入れ、私なるまで炒める。只それだけです。
そこに、塩、味の素、醤油、生姜(チューブ)を感覚で適当に入れ、軽く混ぜあわせて蓋をして待ちます。
あっという間に完成。
味も驚くほど母のものと似ておりました。なんだか変な話ですが、母の存在意義が小さな部分で一つ、欠けてしまったような気がします。こうして人は一つ一つ依存関係を振り解いていくのでしょう。
悲しいような、当然のことのような。
きっとこれからもいろんなものに対してそう思うことでしょう。
その時はまたここに記してみようと思います。今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
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