ホスピス的塾での異邦人生活(その1)

プロフィール

 私はとある塾でアルバイト講師をしています。営業妨害と言われると厄介ですので名前は伏せさせていただきますが、兎にも角にも私はアルバイト講師だというわけです。

そしてその塾は一言で形容するとホスピス的なのです。講師として通っていても、とても悲しい気持ちになります。とても、惨めな気持ちになるのです。どこにもいけないものたちの優しい園なのですから。

最もタチの悪いのは、本当のホスピスとは違ってこのいわば模倣されたホスピスの患者たちつまり生徒らは今自分が置かれている状況を全くと言っていいほど理解していないというところです。

自分がどこに運ばれているか(もちろん観念的な意味で)わかっていないのです。

 私はもともとこの塾に勤める気はありませんでした。自分が十年間も通い続けた小さな塾に残ろうと思っていました。しかし潰れてしまったのです。

とてもあっけなかった。原因となったのは単なる財的な破綻でしたが、最終的には内輪で軽い争いのようなものも起こり、悪い風が吹き荒れる中、塾は風船が萎むように徐々に徐々に消えていきました。

建物はあるし、もちろんある日を境に営業をしなくなるものではあるのですが、不思議と小さな段階を少しずつ経て死んでいくように見えるのです。徐々にそれは効力を失い、やがて力尽きたように何もしなくなります。何も果たさなくなります。

でもしばらくは何にもならないどこにもつながらないはたらきが続く。「はねる」しか脳のないコイキングのようなものです。おかしな例えですが。

そしていつかピタッと止まるのです。そしてその働きさえもなくなります。

ステップをきちんと踏んで、そして死んでいきます。

私はそれをただ片隅で見ていました。何もできることなどありませんでした。私は初めて生き物以外の終わりを見た気がしました。リアルに、手元にあった概念が消えていくという体験は意外とできないことだと思う。

そして私は怯えました。これほどまでに簡単に消えてしまうものが、十年間もの歳月私の半ば軸として存在していたのだということに。

正確には、そういうものに支えられていなくては、多くの場合歳を重ねられず、私してそれらは非常に脆いということに恐れ慄いたわけです。

 それから私はなるべく何かに縋ることはやめました。特に財やら人やら多くのものが合わさってできていて何かが抜ければジェンガのように崩れてしまうようなもの。組織です。

ここに自分の全てとは言わないまでも多くの時間、労力、精神を傾けること。これは多分自分の首を絞めることになると感じたのです。

自分を救えるのは自分しかいない。あるいはなにか引き金のようなものを持たない愛しかない。

実利的な何かを求めるということにしか組織というものは使うべきでないと思ったのです。なぜなら彼らもまた脆弱であり、極論実利的なものしか与えないからです。

ゆえに私は必要不可欠の財の確保のためにアルバイトを始めたわけです。始めるにあたってそれ以外の目的などありません。

あくまで私の目的は小説家になること。それ以外には今は考えないことだ。そう思いました。

……長くなりそうです。今回はここまでにしておこうと思います。これから数回に分けてホスピス的塾について書いていこうと思います。

それではこの辺で。

ありがとうございました。

コメント