お正月。それは束縛の期間……。
私が冬休みにしようとしていたこと、たてた計画、あるいは突発的に行動したいと思うような対象が見つかることもある……。
それらが悉く他人の責任下に行われた行動選択によって潰されたり捻じ曲げられたりするのです。
そしてその主犯格は大抵「家族」と言われる人種なのです。これは由々しき事態であるのですが、結構推しに弱い私はつまらない買い物でも誘われれば一緒に行ってしまうこともあるのです。早くこの癖は直さなくてはな。
私はこのお正月と呼ばれる時期には「家族」といるものだという風潮が気に入らないのです。そんなに家族とは崇高な存在であり観念であるのだろうか?
あまり大きな声では言えないしこの個人ブログでありますからこんなことが言えますが、私はこの「家族」という観念のあり方が嫌いです。実際の自分の家族は嫌いではないのですが、どうもこの「家族」というのが気に入らないのです。寒気がするのです。
おそらくこれは、「家族」というもののあり方がしっかりと定まっているというところに問題があるのだと思うのです。
・家族のことを大切にしなさい
・家族のことを愛していて当然だ
・家族の中の役割に応じた適切な行動が取れるようになりなさい
等々結構この「家族」という観念は自分の気持ち、そして個人としての立ち位置に深く立ち入ってくるのです。そのため、自我が強い人はどうしても家族といると閉じ込められている感じがするのでしょう。
特に二番目の、愛するということに関してはやはりこの固定観念があることによって曲がった愛が生産され、世の中の愛の価値が全体的にチープなものになっていっているように感じられるのです。
要するに、「家族だからなんとなく愛しているような感じがしてしまう」という感覚です。もし第三者同士でであってもなんとも思わなかったという程度の相性にも関わらず「家族」という肩書きだけで愛するなんていうことをできた気になってしまうのです。
これはなんだかんだ問題かもしれません。
つまりお正月はその最たるものなのです。「愛情」を持った気でいる人々が集まり、特に面白くもなさそうな会話を繰り広げる会に見えるわけですね。
ああ、シビアなお正月。どこにも行けないお正月。
そして皆さん、あけましておめでとうございます。今年も引き続き活動を行ってまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします!
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