映画「もののけ姫」を観ました。
話の中で描かれる悲しみ、死、憎悪、生命の具現化。そういうもののエネルギーの象徴として描かれる森。そういうものが神秘性を帯びることによって浮かび上がる素敵な作品だと感じました。
しかしものすごいメッセージ性を感じました。争いに関して、或いは自然と人の関係、そして人と人の関係。物語や麗しい情景描写によって何重にもなる層を形成し、覆い隠そうとしているであろうその道徳的メッセージが見え透いていました。
そのメッセージはそれはそれで胸に留めておきたい。しかし、私はそれをあえて見ずに、感じてみたかったと心から思います。
メッセージの単純さと明解さとは裏腹にその表皮は厚く、凄まじい神秘性と不可思議を湛えており、そこには悲しみも滲むので非常な芸術性を感じるのです。
だからこそそこに触れ、それをそのまま飲み込み、その上で少し頭を悩ませてそこではっと気づきたかったのです。
かなりわがままですね……(笑)
仕方ないのです。私が大人になりすぎたのだし、私の物分かりがよくなりすぎたのです。
それに、目の前のものを目の前のものとして取ることができずに、何でも疑い、何でも芸術の元にあるのか感情のもとなのか或いは事務的な思惑に基づくものなのか、ということを図りすぎているのです。
それは現実を生きる上で大人に身の安全の保障を一任できなくなったからでしょう。自分でどうにかしなくてはいけないことが多すぎて、不要な防衛本能がつきすぎてしまったわけです。それゆえこうしたフィクションの世界の中でもそれが発揮されてしまうのですね。
しかし私はそういうものの見方ではなくて単純にあの素敵な、素晴らしい神秘性と、無機質でそれでいて実体を持つものとの何かしらかの心のつながりをうちに秘めたような「こだま」や水の清らかさを工場の雑踏や騒々しさとの対比から純粋に美しいと思ったその感覚を大事に大事にしたいのです。
道徳的で社会的なメッセージよりも、心や神秘の芸術性に溺れたいのです。
今もそういうふうに見えるのに、話の流れを追っていくとその大枠のどこかにそれがはっきりと浮かび上がるのです。
しかしそんなことが思えるほど、そこまでしっかり感じたかったと思えるほど、人間の心と自然とそれらを超越した神秘の「繋がり」が見えるような素晴らしい描写であったということは確実に言えます。
あえて裏に隠されたメッセージなどを言葉にして解釈しようなどとは思いません。しかし、特に森の描写から得たどこか心に残る高揚感と不思議な安心感は大いに伝えたいのでここに記しました。
なんだかんだきっと楽しめたのでしょう。またいつか、年月が経ったら観てみたいです。きっと別の見方ができると思うので……。
それでは今回はこのようなところで。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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