空き缶を捨てにいくとき、キャラウェイを墓地に送る「わたし」になる。

雑記

 コンビニで買い込んだ缶。まったく高いな……。

でもコンビニで買うことに意味がある。他の店がどこもかしこも閉まっていることに意味がある。

実のところ意味なんてなくても良いのだけれど、意味があるとより感傷的になれるのだと思う。空気は澄んで星は綺麗で、そこに人工的な光を放ったコンビニと、感情とかいう自然なのか人工物なのかわからないようなものが転がっている。

何なのだろう。本当に夜のコンビニって時空が曲がっているような気すらする。

そんな素敵な夜のコンビニで買った缶のアルコールの入った袋を下げて夜道を歩く。その時は好ましい相手と一緒。それから飲むアルコールは最高に酔える、美味しい。

飲み物なんて消えてしまうものに何か永遠みたいなものを重ねるなんて不思議だなと思いつつ、人と人が缶を傾け合う。

素敵な時間。豊かな時間。でもいつか朝はひらけて人は然るべき場所に戻っていく。

 私はそしていつも通り昼過ぎくらいに起きて課題をやり、一段落したら夕食を作る前に散歩に行く。

そうだ。昨日の缶、捨てに行こう。

夕暮れのまち。缶を買ったコンビニに向かう。左手にはビニール袋に入った軽い軽い缶。時々カランとしけた音がする。

昨日のことを思い出す。口の結ばれた袋が無性に悲しい。

私は不意に『さようなら、ギャングたち』のキャラウェイのことを思い出した。死んだキャラウェイを「わたし」がおぶって「幼児用墓地」に連れていくシーン。

最後の日のたまらなく悲しい雰囲気があって、その後にあの口数の少ない中で語られる感傷的すぎる墓地までの道。

なんだか死んだ夜の残りかすをぶら下げて夕暮れの街を歩き、彼らを葬るに適切な場所まで連れていくという行為がまるっきりキャラウェイを送る「わたし」と重なって私はなんだか胸にどきどきする何かを宿していた。

陽は傾きに傾いて、私は彼らと別れた。

もう夜は死んでいるし、彼らがここに残っていても何の意味もないのかもしれないけれど、何だかその夜の中の全てを失うということがどうも受け入れ難かったのだ。

ああ、キャラウェイ……。

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