最近私自身が、よく言葉を削っていると感じる

雑記

最近、冬なので気温が低く、そのためかとっても思考がクリアです。

色々なことを深くじっくりと考えられるし、夜が長いからか時間もたっぷりあるように思えてあまり焦ることもなく、そのおかげで世界の解像度が上がって見えます。気分がいいなあ。

そこでよくTwitterに何か書こうかなと思うことが増えまして、楽しんでいるのですが……。

Twitterは文字制限があるし、日々使うLINEやDMでの人とのやり取りは観念的な文字数制限があるな、ということを久しぶりに意識してしまいました。

言葉を削り過ぎているのです。

美しく書くため、とか、誤解がないように、とかそういった頭の使い方をして文章を書くと当然文章量は増え、それらの制限をオーバーしてしまうのです。

ですからSNSに割く時間が増えると必然的に「短くするため」の校正に頭を使ってしまう。

むしろ普段私がしたいことは文字量が多くなることを気にせず美しい文章を書くことなのだから、そうした頭の使い方をした方がいい。

それができるのがブログと短編だと思っています。

ブログは、Twitterの140文字に収まらない日々の記録や芸術作品に触れての感想や解釈を文字数気にせず私の感覚のまま文章に落とし込める場所。

短編は、私の「感覚」の部分だけをやはり字数を気にせず、さらに(これはブログにはない特徴だが)伝わるかどうかということすら全然考えなくて良い場所。

それゆえSNSよりブログ、ブログより短編作品、と、徐々に分かりにくくはなるけれど私の感覚がそのまま描かれているのかもしれない、とふと思いました。

長編もそういう自由な美的感性で書くように意識はしていますが、やはり長い分頭で書くところもそれは出てきてしまうので、またちょっと別の扱い。

そしてこのブログは、芸術的観念なども忘れてただ思ったことをある程度伝わりそうな言葉で、私の思うままに書いているので、なんだかとっても落ち着く空間です。

普段実際、「あんまり読んでる人はいないだろう」と思って好き放題書いているのですが、実は時々熱心に読んでくださっている方がいて、コメントをいただいたりり文学フリマの時に「ブログ読んでます!」と言ってくださったりすると、とっても嬉しくで同時にちょっとドキッとします(笑)

そんなことをぼんやりと考えて書き連ねていたらもう朝の四時半だ……。

そろそろ寝てみようかなあ。

今回もこんな文章をここまで読んでくれてありがとうございました。

いつもいつもありがとう……。

これからもよろしくね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました