居酒屋に行き、お酒と読書と「風の歌を聴け」のことを考える。

村上春樹

 緊急事態宣言もあけたので念願の居酒屋に行きました。(緊急事態宣言が解かれたところで根本的な解決になっていないことはわかっていますが、あくまで出かけることへの社会的な思考に基づく根拠として一応書いておきます。)

私は家で缶のお酒を飲むということしかしたことがなく、外での飲酒というものをしたことがありませんでした。

今までは、アルコールを体に入れるとき、親密な誰かと家で飲むのが一番良いのではないかと考えていました。

しかし。不健康とはそして金のかかることというのはロマンなのです。また、お酒の場での常識もまたロマンです。

私は頭ではそのことを分かっていながらも、実際にはなんにも分かっていなかったのだということに気が付きました。

私は本を読むことそして書くことを人生の一部として生きていきたいなら飲酒を分かっていなくてはならないと思いました。

例えば村上春樹氏の「風の歌を聴け」。これはいわば私の人生のバイブルとも言えるかもしれない本ですが、この本に以下のような一節があります。

「たまらなくビールが飲みたかった」

これが144ページに書かれているのですが、このシーンは物語の終わりの方の非常に切ない素敵なシーンなのですが、そこでこのような形で感情を表現しているのです。

しかし私はここでたまらなくビールが飲みたいという状態を私はうまく理解できていないように思うわけです。つまり私がこの文章を読むとき、それは文字を読んでいるにすぎな行為なのです。

ここから得られるはずのどうにもならない思いを感覚として知ることができないのです。

私がもしこのシーンを書いたなら、ここでつまらない表現をしてしまうかもしれませんし、逆に意味不明な言葉を並べてしまうかもしれない。

ここでただ一言、「たまらなくビールを飲みたかった」とは言えないのではないかと思ったのです。

私は居酒屋でしっかりグラスに入ったお酒を飲みながら枝豆を食べると、そのことを思って悲しくなりました。

私は 何も分かっていなかった。と。

しかし飲んでいる時に、ふっとわかりました。突然、その感覚がわかったのです。まだ完全ではないかもしれません。きっと完全に理解するには、いろんな豊かな時間をたくさん過ごさなくてはならないのだということはわかっています。しかし、部分的に感覚的にわずかながらですが捉えられたように思うのです。

そのようなわけで、居酒屋に行くことで以前から感じていた「不健康」の必要性をさらに感じたのでした……。

(そのことについて書いた記事を一応貼っておこうと思います)

それでは今回はこんなところで。これからも適度な不健康を適度な頻度で生活に取り入れつつ、豊かに生きていこうとお思います。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

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