暑い。

散文

苦しい。暑い。そしてやはり、暑い。

蒸しあがった車内はどこか少しだけ毒ガス室のような感じがする。意識が遠のく。苦しい。暑い。

熱風が吹きつけ、気持ちの悪い充満した、そうまさに充満した熱を孕む空気が私を圧迫し動けなくさせる。運転手はなぜか涼しい顔をしている。

人間はどうしてこうも不平等なのだろうか。それは忍耐とか根性とかの問題ではなく、ただその感度による差異なのだ。

それをひとは「根性がないから気温の暑い寒いに耐えられないのだ」と言う。

そんなことは今は論点ではない。それではあなたは私が設定した温度でエアコンをつけた室内にいられるのか?いや、そのうちに毛布でも羽織り始めることだろう。

「忍耐がないんじゃないか?」

そう私だって言っていいはずだ。しかしそれは許されない話。

人間は皆、おそらく純粋なものを高く見る傾向を持っている。外の言うなれば自然の気温に合うような感度を持っている人なら、それが最も素晴らしいことのようにいわれる。

しかしもはや何が自然なのかなどわかったことではない。もしかしたらエアコンの効いた部屋が人間のスタンダードなのかもしれない。

宗教だって文化だってそうだ。宗教も文化もシンクレティズムの先にあるもので、それらは融合と妥協を繰り返しそして強くなっていく。

もろくなくなる。それは色々なものを取り入れながら、色々な違いを持つ多くの人に適応していく柔軟さを持つからだ。

エアコンもその一部だ。どんな人も最大のパフォーマンスを、それもいつでもすることができるように、そのために文化的融合の末に出来上がったものなのだ。

暑い。

それが私を阻害して、意識を断絶させ、身体と精神の融合を解いてしまおうとするのだ。

それはひどく弱く、一貫性のない、そういう私を作り上げる。

私の発する言語は「暑い。」ただこれだけとなる。それは私の単純化であり、その状況下では私における複雑化はとてもはかれる状況にはなくなるのだ。

単純化というのはえてして、ものごとを説明するときに役に立つけれど私の扱う文章はものごとをうまく理解させるためにあるのではなく、むしろつまらないことを大きく複雑にするものなのであるから、私における単純化は私の劣化をそのまま意味することになるのだ。

暑い。

そう考えるとこれは深刻な問題だ。

暑い。

それは悲しみと夢の不可能性を呼び込むものだ。

暑い。

暑い。

暑い。

誰が寒がろうと、エアコンをつけよう。そして夏を眺めよう。それだって夏を感じることはできるのだから。

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