財がなくては生きていけない。それゆえ、財を欲さずにはいられない。
時間がなくては夢を追えない。それゆえ、時間を欲さずにはいられない。
当たり前のことで、その上当たり前のように矛盾し、乖離する欲望と現実。
「夢を持つことは素晴らしいことだ」と人は言うけれど、本当にそうなのでしょうか。夢は持ってしまうものなのではないかと思うのです。
(ここでは何か特殊なことでで生計を立てようとしていると言う意味での)夢を持っていなければ、当然のことのように仕事に行く時間を受け入れられ、なおかつ与えられた僅かな休みを喜び、大切にそして慎ましやかに過ごすことができたのではないかと思うのです。
働いてお金を得ようとすれば、時間を失うことになります。しかし、時間を得ようとすればお金の面で危ない橋を渡りそして節制をすることにもなります。
もうこの時点で八方塞がりなのです。できるだけ時間を得ながら、限られた時間の中でなるべく早く夢の実現をしなければならないのです。それは非常にリスクを負うことでもあります。
夢が叶わなければ、その時間は成果として何も生まないからです。努力型ギャンブルと言っても良い。そういうハードなものが夢なのだとこの頃実感しております。
ここ最近、毎日のようにこのブログや小説の執筆を行いながら(これらは楽しんで行っていますが)、日々消費期限を目の前に朽ち果てそうなレポートの数々をこなし、そしてこのブログの管理を手伝うS氏の方の取り組みのお手伝いをするというなかなかのハードワークをこなしているのです。
そして少なくとも週に一回程度はあの「ホスピス的塾」にも行かなくてはならない。
そうした充実した忙しい日々の中で私は、真に時間というものの有限性を感じざるを得ないわけです。
しかし流石に週一回しかアルバイトには行かないわけですので金銭的にも無理は感じております。
わがままと言われることもあると思いますが、本当にどちらも必要だから混乱してしまうのです。もし今後卒業して仕事をすることになってしまったとしても必ず税金の問題などが浮上し、結局たくさん働かざるを得なくなるわけです。
夢を追いかける人は破綻の一途を辿らざるを得ない状況が繰り広げられてしまっている社会なのです。
財に縛られているな……
時間にも縛られている……
ただ表現をしたいのです。自分の見えたもの感じたもの、頭の中に形作られていくもの、そのようなものをただ自由に書いて、自由に暮らして、気が向いたら絵なんかも描いて……。
そうやって素敵で自由な日々を送りながら言葉を紡ぐことでいつか何かの役に立ったらそれで良い。
ただのわがままとしてではなく、ただそうささやかに思うというだけの話なのです。
しかしこの世の中は財に固執します。それはまるでモノカルチャー経済のようです。
結局全体が「財」のパワーに頼りきりなのです。
そして私がそれに適合していない、ということなのです。そういう人間がうまくやっていくには、そういう概念を超越するしかありません。
財を稼ぐ方法として良いものを選び、それを実践できる知識をつけ環境を整えること。あるいは夢を叶えることです。
もしくは、仏道修行をして生活にも財にも夢にも愛にもどんなものに対してもの執着を断ち切ることでしょうか(笑)
しかしもうそれしか残されていないのです。
また私は様々なものを感じ取り、そして文章を書き、義務をこなす。そうやって一日一日を乗り越えていって、いつかどこかで明るいものに出会えたなら良い。そんなふうにも思います。
夢を持つとは過酷なものですね。
日常を送るのも過酷なものですね。
がんばろう。夢を持つ人も、そうでない人も、そして私も。
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