今日、レイトショーで「怪物」を観てきました。レイトショーというところがまた良い。なんだか閉まった映画館に特別に入れてもらっているようなそんな気持ちになれます。
さて私はこの映画を観て、私は知らない間に大人になってしまったのだと思いました。なくしたものがたくさん描かれているように思えたからです。私はここまで、歳を重ねていく過程の中で色々なものを得て不必要なものを捨ててきたのだと思っていたのだと思いますが、実際は魔法の力が切れるみたいに自然と私から奪われていったものがあったのかもしれないと思いました。
そして同時にこの作品は(当然のことですが)大人がつくっているにも関わらず、ここまでこどもの見ている独特の世界を描けるというのはすごいことだと感じました。私はそこにわずかな嫉妬心さえ持ってしまったくらいです。
今回はそんな映画「怪物」についての感想そしてちょっとした解釈を書いていこうと思います。ネタバレ含むと思いますので、まだ映画をご覧になっていない方は要注意です!!
1、映画「怪物」の主題はこれなのでは!
私はこの映画について、こどもの頃には見えていたはずの美しい世界と、そこから無理矢理に剥がされ大人になっていく中での不穏な心的闇を描くというのがこの映画の主題なのではないかと考えました。
人のことは視点さえ変われば受け取り方もさまざまになってしまうという人間関係についての問題点や、現代の学校問題、さらにはLGBTQ問題にさえフォーカスを当て、時代の需要に合わせたかたちとなっているようには感じますが、私としてはそこが本題ではないと思うのです。
もっと個人的で、繊細で、文学的な、そういう種類のとっかかりのようなものを美しく描きたかったのでは、と思います。
実際にTwitter等のネットで「怪物」の感想を調べてみると現代の問題にフォーカスしたというところや、色々な人の視点で描かれているというところに着目した意見が多く、私としては「本題はそこではないのではないだろうか」と思いました。
しかし本当に描きたいことを描くためにこうした策を講じるのはとても良いことなので、それをこのような形でできていることが評価に値すると私は思います。
とはいえそこを主題と取るには如何にしても映像や言葉遣いが美し過ぎてしまうので、私は個人的な心的描写のための舞台設定であると解釈したわけです。
2、感想
私はこの作品を観ている最中、何度か泣きました。理由は、なくしてしまったものへの自覚と、苦しかった青春期を彼らと重ねてしまったことです。
1、の見出しで述べたように、私はこの作品の主題はそのようなセンシティブな真的描写にあると考えている前提で感想を述べていきたいと思います。
簡単にいうならば、この作品を観て感じたのはこういった感覚です。
嘘や裏切りをすることを自分が自分に許したこと、自分の中に生まれつつある何かへの愛情に対する嫌悪。それらを受け入れていくことで大人になるのだということへの気づき。それは成長とは呼ばないのかもしれないというアンバランス感。
自分の邪な行為や守りたい身勝手な思いのために嘘をつき、誰かを傷つけるということを、教育の過程で「いけないもの」だと叩き込まれてきたからこそ、そこをほとんど初めて破ってしまう寂しさであり不安でもある何か闇がそこにはあると思いました。
そして人として成長してできることが増えて、そうして大人になっていくと思っていたものが、そうではなくただ妥協の産物であり闇の受け入れであったのだということを知っていくそういう(身に覚えのある)苦しさを観ていたような気さえするのです。
その中で主人公の彼は友達の星川くんに恋心なのか愛なのかそういった感情を抱き、星川くんからもそれに似た感情を感じたとき、ひどく動揺します。その動揺はそういった甘ったるい感情への嫌悪であり、それを受け入れられない自分自身への恥ずかしさでもあるのだろうと思うのです。これも私が実際に感じたことのある感情でした。
そして同時にそれらは当時こそ真剣に嫌悪したものの、今となってはまったく気にもせずに順応してしまった気持ちでした。嘘をつくことは容易いことで、裏切りは日常にぷかぷかといつも浮かんでいて、誰かを好きだと思うことはきっかけさえあればしばしば起こり得ることでまたそれが変化することも往々にしてあることです。
大人になってそんなふうに世界を見始めた私は、それら一つひとつに真摯に向き合う姿勢をいつの間にかなくしていたのでした。
大人がつくったとは思えないほどのこの忠実な子ども描写は私になくしたものをいくらか思い出させてくれました。
取り戻すことはきっともうできないけれど、なくしたものがいったい何だったのかということくらいは思い出せたような気がします。
明日からはその代わりに何を得てきたのかということも思い出そうとおもえるかもしれません。
3、映画「怪物」の演出の美しさについて。ラストシーン考察。
とにかく映像が綺麗で言葉も綺麗な映画「怪物」でした。
序盤で母親と会話をするシーンにて「お父さんは生まれ変わったかな」という話をしていた主人公が、ラストシーンでは星川くんの「僕たち生まれ変わったのかな」に対し「生まれ変わるとかないよ」と答えるそれは会話の回収としても収まり良く、そこで秘密基地の下の暗闇とそこから出た後の光の粒の演出は総じて美しいものがありました。
この映像演出で特に考え甲斐があったのはラストシーンです。
台風の日、主人公湊と星川くんが秘密基地に向かうトンネルを抜けた後、気が倒れてそのトンネルを塞ぎます。
その写し方はどこか、「もう戻れない」ということの暗示にも見えました。そしてその後の秘密基地とその地下の異様なまでの暗さ、「出発の音だ」というセリフ。秘密基地を出た後の立ち入り区域が入れるようになっている様子。それらを見るに二人は秘密基地で死んだのではないかと私には思えました。
二人は子どもながらに、子どもである自分が持っているものを理解したのではないかと思いました。その中で手にしたお互いへの愛のようなものは嫌悪の対象でありながらも徐々に互いの中で深く揺るぎないものに変わっていったのではないでしょうか。
だからこそ二人はそれを手放す必要がないように、もっといえばこれ以上何も失うことがなくていいように、大人にならないという選択を取ったのではないでしょうか。
私はその二人の決意の美しさに涙を流し、そしてそんなことに気づかないまま色々なものをなくし続けて結局大人になってしまった私を思って苦しくなって泣いたのだと思います。
観にいって本当によかった……。もう観たよという方、ぜひTwitterなどのコメ欄等で語り合いましょう♪
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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