駅前で自転車を停め、そして歌うひと

散文

早朝の駅。

歩くとそこには誰かがいる。誰もがいるような気もする。

踏切を渡ろうとそこで止まっていると、遠くの方にアカペラの「世界に一つだけの花」が聞こえてくる。

音程は外れていて、しかもその声を発する主体はマスクすらつけていない。

不快極まりない光景ではあるが、どことなく開放感を覚えたのも事実だった。

その謎の男はマスクをつけずに自転車に乗り、踏切がカンカンという音を立てて閉まる時、必ず皆と共にそこに並び、歌を歌う。

彼はそのあたりを旋回し、皆が並ぶところに止まって熱唱していた。

しかしそんな彼の行動にあからさまに「目線」という形で反応したのは私だけだった。

私はついその行為をやってのける謎の男に目線を向けざるを得なかった。

そして私は人間というものの可能性を感じた。本来的には自由なのだと。本当は誰にも縛られるべき存在ではないのだということ。

意外と何をしても皆騒ぎ立てたり白い目で見たりしないのだから。

無関心なのか、無関心でいなくてはならないのか、それはわからないけれど少なくとも彼らは皆世界を見ているようで見ていない。

謎男の方がよっぽど世界を見ている。自分の可能性をフラットに見ている。

私だって道路で歌っても良いし、変な服を着て歩いても、同じ場所を旋回してもかまわないんだ、と気が付く。

だけど私は程度の差こそあれ多くの人と同じような行動の仕方をとってきた。それは学校という小社会などで培われたものだが、そういったものがあることによって私は自らの可能性を見失っているのかもしれない。

もちろん前提としてこのコロナ禍においてマスクなしはどうかとおもうけれど、そういう話ではなくて、自分というものの位置付けと見方を誤ってはいけないのだということが、ただひとつ言いたいことなのです。

何かに流されることなく、「私」を見ること。

それは私を強くそして価値あるものにすると思う。

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