何かが終わり、必然的に手にしたものについて

雑記

 私が予感した通り、この風邪が治りかけてくると、私の世界は変わりました。

今までの自分の根本的なスタイルの基盤のような部分が一度終わり、なくなったものしかないと思いきや必然的に色々なものを手に入れたような気がする。詳しいことは、話せるタイミングが来たらここで話すかもしれませんが、今はひとまず示唆的な言葉に留めておこうと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

革命。

恋。

恋による革命がしっかりここに起きている。

人は恋と革命のために生まれてきた。

斜陽、静子は、正しかった。彼女は多分、ちゃんと人をわかっていた。

私はそれに気づいた瞬間に臆してしまって。そんなものが人の生まれた意味なら、人は絶えず激動の中で絶望し変化を強いられながらそれでもなお力強く自分の肉体という人生のツールを生かし続けなければならないという苦行を果たさなくてはならないことになる。

それでは人間というのは潜在的に不幸な存在なのではないかと、私は思って、これからの長いであろう人生がふと怖くなりました。

わかっていたことですが、それでも次の瞬間生きるために水を飲んでいる私がひどく呑気に思えました。私はそれでも希望的観測を心か思考のどこかに持ち合わせている自分自身を自覚したら、怖くなって私は何も言えなくなりました。

ただたくさんの水を飲んでいる自分がそこにはいました。そして夜の街をゆっくりと歩いてみようと私は思いました。

恋に生きることを決意した者による革命がここに起こり、その革命の中でも生きていかなくてはならない私は、まず自分の恋を恋と理解し認めなくてはなりません。

恋に生きることを決意した者による革命で出来上がった世界に生きるには、恋をすることは生命を維持することなのです。

恋は対人において見つけることがもっとも手っ取り早く満足度も高いのではないかと思いますが、実際別の何かに恋をしても良いと思うのです。

空とか、灰皿とか、指輪とか、本当になんでも。

……かなりずらずらと思ったことを並べました。ブログ記事とか言いながら、好き勝手してすみません。

今の気持ちや思考の連想ゲームを、どこかに記録することはとても重要なことなので。ずっと覚えておけるように。この風邪が跡形もなく治って消えてしまった後においても。

秋が来て、近いうちにきっと冬が来る。

夏の中で煮え切った頭と、それを冷ます強かで聡明な秋。そんな秋は去り際をよくわかっていて、多分私たちに「もう少し居てほしかったな」なんて言わせるのだ。

そこで迫り来る冬が私に何を思わせるのか、今の私はまだ知らない。

寒くなったら、もっといろんなものを求めてしまいそうで怖いな。aiko並みに、季節においていかれそうだから、頑張ってついて行ってみます。

みなさんも風邪をひかないように、季節においていかれないうように、気をつけてね。

今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました