レモンについて語るときと、檸檬について語るとき。

雑記

 大学にて地理学の講義。

私にとってはまるで関心のない講義です。初めの方はただ漠然と「至極つまらないな」と感じていたのですが、そのような時間を毎週90分過ごすことを考えるといささか自分の時間の使い方が雑なのではないかという不安に駆られ始めました。

そこで、その講義をつまらないと感じる理由を考えてみたのです。

すると思ったことは、この講義において話されるトピックは「社会の仕組み」と「現実問題の提示」なのだということです。

そして私は詰まるところこうした問題に興味がないわけです。

「必要」「不必要」の問題ではなく、完全に「好き」「嫌い」あるいは「魅力がある」「なし」の方を基本的に重要視する傾向にあるようです。

なお、私の考え方からしてそのようなことにあまり熱心に取り組む必要はないと思いがちなところもありますので、その意味で「至極つまらないな」と感じたのでしょう。

今日は「レモンの流通」についての講義でした。

どこでどの時期に採れて、それがどのくらいの値段で売れるから農家が作ろうとするとかしないとかいう話。

面白いとどうしても思えません。ロマンがないのです。そんなことがわかったって、レモンの味から想起される感情やレモンを媒介にした芸術は生まれないのです。

反面同じ「れもん」でも、梶井基次郎の「檸檬」を読んだ時には感動しました。

たしか高校の現代文で読んだのですが、あれはストーリーの軽快さと純粋さそして文学性に感動しました。

考えれば考えるほど色々な解釈が生まれ、ただのレモンは爆弾になりうる。そのただのレモン爆弾は人のこころの持ちようを変化させていく。

これはいかにしても深さがあります。反面、レモンの社会的なあり方を見てもなにも感じません。ただ、「そうなんだ、なるほど。」と思うだけなのです。そこに本当に意味があるのだろうか。

そんな風に色々考え、この記事を書きながら講義を聞いていたのですが、気がつけば終わっていました。なるほど、少なくとも今回は良い時間を過ごしたかもしれない……。

それではここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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