私は私や私を取り巻く環境のことを全然知らない。それに、生きるとか死ぬとか生まれるとか、それすら意味がわからない。
目の前にあるこのパソコンだってどのようにして動くのか検討もつかない。横に置かれたマグカップがどうやって作られたのかすらわからない。
こんな状態で生きているということを考えると怖くて怖くて仕方がない。
全ての病気や犯罪、諍いや迷いは結局まやかしなのではないかという気もしてくる。それくらい、私は私のことがよくわからない。
そんなことを明け方の空を眺めていたら思ったのだけれど、その中で私が私のまやかし(夢)に執着しなくてはならない理由は何だろうと考えた。
私は最高の小説を書ききることをもって自分の殻に閉じこもろうとしているにすぎないのでしょう。
何もわからない、ひょっとしたら目的論的に回っている世界なのかもしれない、ふと気づいたらもう死までのルートがくっきりと見える、そんな世界なのです。
そんな世界の中の人間、その集団の中の女という分類、そしてそのただ一人としての私。そういうふうに考えてしまうととても苦しくなります、所詮私は女で、それでいて人間なんだ、と。
しかし私がもし仮に、観念の中だけであったとしても、私をただ「私」として独立させることができたなら、私が生きている意味が私の中には確実に作られるわけです。
その過程の中あるいは前提の中で色々な絶望が存在するけれど、私を独立させることができたならもうそのあとは何にも絶望させられることはなくなるのだろうと思う。
ただこの広く不確かな世界に等身大の観念の世界を設けて閉じこもるだけで完結するわけです。
そう思うほどに、私は絶望し切ってしまったのかもしれません。
これ以上絶望することがありませんように……。
コメント