大学受験を振り返り、時間を決めることについて考えてみる。

雑記

 これから夏本番。夏といえば受験勉強、ではないけれど、受験勉強といえば夏ではある。

私は受験期、最低十時間は机について勉強していたように思います。ただ冊子を開き、単語帳を開き、文法書や資料集などパンパンにつめたリュックを机にかけて、毎日塾の同じ机について勉強しました。

おかげで自律神経が崩れましたね(笑)毎日吐き気と闘いながら勉強していました。

今思えばどうしてあれほどまでにがんばれたのか不思議なくらいです。今大学というものを知り、そしてやりたいことに取り組む中で、きっと今あの頃に戻ったらあんなに頑張れなかったろうなと思います。

学校に毎日通えていたかすら怪しいです(笑)

ある意味洗脳にかかっていたわけです。「こうしなければならない」「学校に行かない選択肢なんてない」と。

当時は、時間単位でスケジュールが書ける手帳を持っていて、そこに十七時から二十時、英語というように書いていました。

必ずやらねばならないノルマを決めていて、例えば毎日単語二百個、そして文法書は五ページ進めて二周する、センター試験を解く、など。

それらを達成するのに自分で時間配分を考え、実際に行えた時間を記入していく形をとっていました。

これのメリットは二つです。

まず一つは、時間が明確にわかるので無駄が明確になること。二つ目は自信がつくので受験の過程の中で十分な成功体験が得られるというところです。

しかしデメリットが一つあります。結構致命的です。

それは、「目的」のためにやっていること以外何もかもが無駄に思えることです。例えば、どこかに気晴らしに行って埃を被った感性を磨くこと。あるいは本を読むこと。

そういった何もかもが無駄に思えるのです。

私は今でも、課題やブログ、あるいは執筆、そういったものをするとき時間を決めるのが怖くなります。

何もかも無駄に見えたら、感性は錆びつき、綺麗な文章を書けなくなり、自分自身が目的を遂行するただのモーターと化します。

そういうふうになりたくないのです。自分が自分として生きるべきなのだとやっと時間をかけて気がつくことができたのです。

手放したくないわけです。

だからゆるくは決めても、分刻みで余裕のないスケジュールを立てることはもうしません。

ゆっくり無駄を作りながらでいいから、一日の終わりに自分がその日できたことだけは思い返すようにします。

すると明日はもっと上手く過ごせるはずなのです。

限られた時間の中で何をするべきか。それを考えなくてはなりません。

しかし自然に、おおらかな心を持つことも忘れずに。

明日も色々なものを感じ、文章を書いてすごそう。

素敵な一日になりますように。

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