この作品は非常に教訓となりうるメッセージを発する媒体であるという人がいるので、読んでみることにしました。
私としてはこれはかなり好ましい作品であると思えました。アンチテーゼを表現しながら、人間の純粋さを示している。
そしてこの作品の中で示されたアンチテーゼは私の心の中でいつも唱えられていたことでありました。
「命は皆尊いのだ」豚や牛をあんな風に殺しておきながらそんなことを言う人間たち。
何も考えずに「人は尊い」という固定概念のもと生きている。
「人間は尊いのだ」と人間全てのことを考えたかのような発言。
私はいつも、結局は自分でしょう?と思ってきました。私は少なくとも自分や大切な人のことばかり考えていると言えると思うからです。結局家族であっても友達であってもその「大事」にはランキングがついてしまう。結局それらを平等に愛すことはできないのです。
だから「人間のために」なんて厚かましいわけです。
そういう気持ちもあってか私はミギーの発言をもっともだと思うことが多かったように思います。
「私は恥ずかしげもなく『地球のために』と言う人間が嫌いだ」
「尊いのは自分の命だけだ」
つまりミギーは、自分の命が尊く、大きなものなど守れもしない人間が、自己を擁護するために人間のためとか地球のためだとか言うことを気に食わないと感じているのだと思っているととることができる。
「何かのため」や「何かを尊重しなくてはならない」などの膜に自分を包んで生きている人間が姑息でいやらしく感じられるのでしょう。私もそう思いますからね。
私もそういうふうに思っていて、嫌な言い方をすると、少しだけ「けっ、人のためとか言って結局は自己満足を他人を使って遂行しようとしているに過ぎないのに」と思う。
実際にミギーは自分の命を守るためにシンイチを殺さないでいると言っています。正直で潔くて姑息じゃないこの言い方はなんとなく冷たく感じるけれど逆に誠実さがあるわけですね。
ここまではなんとなく細かい話をしてきましたが、全体の話をしましょう。作者は何が言いたかったのか。
一言で言うとこれは、「生きるということについてそれに伴う自我というものの汚さや自分以外の犠牲を顧みて考えた上でやはり生きたいと強く思う意思があるならこのまま生きろ。」ということなのではないかと思います。
シンイチはヒロインと一夜を共にした後、「生きたい」と心から思います。それまで自分が、あるいはミギーたちがなんのために生まれてきたのかということを考えながら何人も殺し、皆死にかけ、その末に思えたことです。
彼は当たり前のように「人間の命は皆平等に尊い」と思い込み、何も考えずハンバーグを食べていた。
しかし彼はミギーと出会い、さまざまに仲間が死につつ生き残ることで、考えが変わったのです。最後のあたりには「自分は家族くらいしか守れない小さな存在で、これまでの戦いも決して人間全般のためなんかではなく、結局は自分とミギー(大事な存在)を守ることだけを考えて戦っていた。」というようなことを言います。
その醜さ、現実、矛盾。そういうものを一度正面から捉え、考え、そしてそれから彼は「後藤」にとどめを刺します。
この冒険を乗り越える前の彼からは考えられない悩みと結論の出し方です。現実と、「自分が生きること」に付随する汚い感情までを受け入れたわけです。
そして彼は生きていく。
すごく私の思うことに似ておりました。だからこそ底しれぬ共感の気持ちを抱いたのです。
文学好きの方も、これはアニメ漫画と毛嫌いせずに読んでいただきたいです。きっと心にくるものがありますし、ミギーの言葉遣いや「あとがき」を見るに作者は文才もあるのではないかなとは思っています。
考えることが重要だということをいつも思っております。実際皆そうであるべきです。自分を考え尽くし、固定概念に左右されず、物事を公平に見ること。
これは最も重要なことだろうと思います。
それでは今回はこんなところで。今回もお付き合いいただきありがとうございました!
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