アイデンティティの確立はいつなのか。私における「私」観の形成。

プロフィール

多くの人にとって「自分」というのは一生を通して最大のテーマとも言えるのではないかと思います。

これは単純かつ純粋な、極めてクリアな疑問なのですが、皆さんは中学校や高校に通っていた時、あるいはそういった年齢のころ、自分が何者かわかっていましたか?私はいうまでもなくわかっていなかったのですが……(笑)

どうしたら一番居心地が良くて、一番疲れずに生きられるのか。何に一番時間を使えばが私がオンリーワン、あるいはナンバーワンになれるのか。

それが全くもって見えていなかったのです。

それゆえ私はこの「木訥」であるという私の性質に気がつくまで随分時間がかかりました。たくさん無理をしたような気がします。

私は木訥であるという状態が好きで、そうあることが私の思考と個性を最大限に強化してくれると今では思っていますが、中学生の時などはそうではありませんでした。

私は誰かにつまらない思いをさせるのがとても私にとって居心地が悪いことのように感じていたのです。

ですから、(多分うまくできていなかったのだけれど)気丈に振る舞い、から元気を持ち合わせた微妙な子供であったのです。

ただ誰かと二人になったりあるいは一人になったりすると人が変わったようにたちまち言葉数が少なく、あらゆる会話や思考が真剣な方向に進んでいってしまうような、よくわからない子供であったというわけです。

だからこそ、後から考えると「どうしてみんなでいたときあんなこと言ったんだろうな」などと思って恥ずかしくなったりしたものです。

高校の時も初めはそのような状態でしたが、二年生あたりから勉強を一人でする時間がぐっと増えて思考がクリアになり始めると、やがて私は私の本質に気がつきました。

私は考えることは得意で文章をつくることも好きだけれど、話をすることは苦手であるしスローペースであるから向いていない、と。そして自分のペースを乱されることが嫌いで極度のマイペースなのだ、と。

それを自覚してからは、本当に生きることが楽になりました。私が私であるという状態が担保され、私は私でいようとする分、方向性も定まりやすくなったのです。

今ではマイペースに私の個性を生かしたことで生きていきたいと思うようになったので、それにまつわる活動を個人単位でのんびりと進めています。

これからも自己実現のために時間を有意義に使っていこう……。

それでは今回はこんなところで。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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