私はブログのTwitterの中でたくさんの村上春樹が好きな方々を知っていたはずなのに、現実の生活の中にそういう人がいることに慣れていなかったように思います。
そのワードを大学のとある講義で行われた自己紹介の中で聞いた時、私はなにか運命を感じたように思ってしまいました。(マイナーな作家さんというわけでもないので「風の歌を聴け」をある種のバイブルのように思っている人は一定層いるとはわかっているのですが。)
私のなかで「風の歌を聴け」とはそれこそ輝きの具現化なのです。この作中での彼の言葉は流れを作り、場所を作り、そしてその中に独特の風のような空気のようなものを放ち始める。それはなかなかできることではないと思うのです。
小説を読むことで「別の世界に行ける」などと言う人がいますがそういう次元ではないのです。確実に私の現実の中に、不思議な風が吹き始めるのです。それは私にとってはある種の革命でもありました。
そしてその自己紹介での方は、「車の上でタバコを吸うシーンが好きですが、でも全体的に好きです」と、「風の歌を聴け」に関して言っておりました。
私は、確かになと思いました。もちろん特別好きなシーンもあります。例えば鼠の「嘘だと言ってくれないか」というセリフ。それからベッドの中で「僕」と「女」が話をして、僕が「子供?」と言うシーン。
こうした好きなシーンはもちろんあります。しかし全体が好きなのです。そこに流れる風が、そして空気が、好きなのです。
それはこの160ページに集積された言葉たちがそして人物たちが、流した空気が漏れ出てくるという現象を指しているのであり、それは本当に私もそう思うのです。
しかしその素敵な空気はお香の香りと同じことで、ふと気がついた時にはもうそこにないなんてこともあるわけです。徐々に徐々に「風の歌を聴け」から離れている時間が長く慣ればなるほどその輝きは自分の中から抜けていくのです。
だから定期的に読みたくなる。また本を読むことで自分の中に素敵な風を流したいと思うわけですね。
本当に素敵な本です。私はこの本に出会えてよかったと心の底から思うからこそ、それを好きだという人を見つけて心から嬉しく思えたのです。
もっと春樹氏の話をしてみたいなと思う。そしてそれが互いの自己理解と自己啓発の一端になれば尚良いと思う。
それでは今回はこんなところで。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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