スプーン。これは私の生姜紅茶ライフに欠かせないものです。ちなみに生姜紅茶のことについては以前記事で書きましたのでそちらをどうぞ。一応下にリンクを貼っておきます。
私は少しばかり一般的な基準よりは潔癖体質なのかもしれないゆえ、誰かとスプーンを共有したりするのに結構色々と考えてしまうタイプの人間です。
食事に行くひとときだけのことであれば別に構わないのですが、日常的に誰かと共有するとなると厳しい。
一般的に定食屋などでカレーと一緒に出てくるような銀のスプーンが家にあって、それを使っていたのですが、とうとう痺れを切らして新たなスプーンを買いに行くことに。
普段カナダのバンクーバーアイランドで購入したマグカップを使っているので、これに合うようなおしゃれなスプーンがないかと探していたところ、素晴らしいスプーンを見つけたのです。
それがこちら。
Twitterにもあげてみました。柄の部分が白くシンプルな作りになっていて、全体的には金色になっているスプーン。お値段は1200円ほどでした。
スプーンにしてはお高めかもしれませんが、良い買い物でした。
柄が細いことで、華奢な印象を受けるというわけです。金色がまたプレミアな感じを演出していてなんとも素敵。
シンプルにもかかわらず本当に理想的な雰囲気を醸し出しています。ちょっと思いつけないデザインなのではないかと思う、センスを感じるスプーンです。
柄の部分が白に塗装されているので熱湯につけていても熱くなることもないので大変重宝しております。
しかしやはり、なんでも「自分のもの」を持つことは重要なことに思います。
「自分のもの」が「自分のスタイル」を作っていくような気がするのです。日常の色々な物事にこだわりを持つことが自分へのこだわりにもなっていく。
そして出来上がった「自分」があってこその「創造」であるように思うのです。
もちろん私自身がスプーンを一から作ることはできないけれど、無数にある中から一つ選んで他のものを組み合わせてみることはできます。
文章も同じで、自分で一から言葉を作ることはできないけれど、たくさんある言葉をつなぎ合わせることはできる。
そういう一つ一つの選択は、余儀なくされているという側面ももちろん持つけれど、一番重要なことは選択するということが確実に自分のものであるのだと思い込むことだとも思うのです。
自分が、自分のために選択するのだということ。それを覚えておけば、スプーン一本でもその選択がものすごく豊かに思える。
そして私はバンクーバーアイランドのマグカップに生姜紅茶を淹れ、そこに新しいスプーンをそっと入れてみる。
その光景を小さく口角を上げながら見つめ、気持ちが昂り、そのまま何か書けそうなエネルギーさえ湧いてくる。
私はキーボードに向かう。迫る群像新人賞。賞にふさわしい作品が書きあがればいいなと思いながら紅茶を一口啜り、ローマ字を打っていく。
生姜の香りが部屋の空気に溶けていく。
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