ホスピス的塾での異邦人生活(その2)

プロフィール

前回は、私が元いた塾が潰れ、その後財を目的とした新しいアルバイトを始めたというところまでお話ししました。そしてそれが、「ホスピス的塾」であるのです。

私はその塾に早速面接のため足を運びました。階段を上がるとそこには白を基調とした妙に秩序だった机がずらりと並んでいました。生徒たちは一様に同じ方向を向き、先生たちは全体の隅の長机のあたりに詰め込まれるようにして座っています。

能動的収容……。私はそう思いました。

私が入り口で挙動不審にとどまっていると、酷く穏やかそうで身なりの整った教室長と呼ばれる人がやってきました。彼は人工的な笑みを浮かべ、私を奥のブースに案内しました。

彼は私にさまざまな業務的なことを説明し、私にテストを受けさせました。数日後合格をもらい、その一週間後暗いから研修がスタートしました。映像研修から始まり、そして模擬授業です。

映像研修の時、私が塾に行くと、やはり教室長が出迎えてくれました。彼は手際よくタブレットとヘッドホンを私に手渡し、映像を再生させると席を離れました。

しかし私は、仕事を「財」と割り切ったことでたまらなく気力が出てきませんでした。どうでもいいとどこかで思っているのです。これは非常に良くないことでした。不思議なことに、何もかもが否定的に見えてくる。

いや、それらは皆我々を縛っている時点で否定的な要素を常に持っているのではあるが、こちらが「普通」を保っていればそれに気が付かないような設定になっているはずなのです。だから日常、多くの物事をそこまで深く悩まずに済むわけです。

その時私はというと大変な無気力状態であったこともあって、この研修ビデオに映される物事のくだらなさがよくわかったのです。

しかしそれらはこの塾だけでなくおそらくは社会的には「当たり前」とされていることなのでしょう。しかし私はこの「社会的」とか「当たり前」とかいう言葉は大変嫌いです。それらはしばしば私を束縛するものですから……。

それはおいておくとして、このビデオには大きく以下のようなことが言われていました。

・やってきた講師に「お疲れ様です」と言いましょう

・講師生徒間の交際禁止

・講師生徒間の物の貸し借り禁止

まず一つ目。私は挨拶というものはなんとなく暗黙の了解にしたがい、ある程度の主体性によって引き起こされなければならないものだと思っているので、これをルールとして半ば押し付けられるのには少々疑問を抱きました。

そして別に私が中学生と恋愛したいわけでは当然ありませんが、二つ目のような条項に対しては甚だ疑問です。この条項がある理由は、もちろん風評被害などを避けるためだとは承知していますが、そういうことが言いたいのではなくて、もっと根幹の部分の話がしたいということはご理解ください。

この規則たちは、社会を気にしすぎて個人を見失っていますよね。誰を恋人にするかなど究極的には自由ではありませんか。誰がそれを止められるのでしょうか。全くもってそれは気持ちの問題です。

それにこの塾は非常に講師に対する制約も多い。それも主に指導方法の面で。いかにも「個人」ではないのです。

「これだから。」と思いました。これだから組織というのには失望するのだ。色々なものを無駄遣いする。素敵な出会いから始まり、素敵な繋がり、素敵な個性も。何もかも踏み潰して朝から夜までどこかの土地に居座っている。

 失望しながらその日のビデオ研修を終えて個別ブースに移動しました。教室長はにこにこしながら様子を聞いてきます。

「どうだった?何か不安なことある?」

優しくされると何も言えません。もともと何か言おうとは思っていませんでしたが、もうこちらが萎縮してしまうほど優しいのです。他の方々もそう。張り付くような空気がまるでないのです。

野原に猫が集まっていて、それも全員が全員お腹を向けて寝ているという感じがするのです。それはある種のユートピアのようにも見えました。限定的ユートピア……。

「いや、特にないです。あ、でも、複数人の子を同時に教えるのは大変そうですね。」

 私はこう言ってみました。すると教室長、歓喜。

「そうだよね!そうだよね!!そうなんだよ。もうね~これで、余裕みたいなこと言われたら、〈お引き取りください〉って感じだよ!」

少々面食らいました。そして同時に理解しました。

ここのユートピアは完全なる協調によって成り立っていて、なおかつそれはこのどこへもいけない共同体の中の共通テレパシーのようなものでの先回り式コミュニケーションが媒体となっているのだ、と。

いるかの超音波と同じことです。

どおりで私はなんとなくアウェイ感を感じていたわけです。

しかしこの限定的ユートピアは私にとってアウェイに写っているに過ぎず、彼らからしたら私は別に共同体に入れていないわけじゃないというところがまた厄介なのです。

みんな優しい。私も返さなくてはいけない。でも返せないのです。私の主軸は別のところにある上、私は確実にテレパシーが使えないからです。

つまり空気が読めない。そして自分の中のどこかに、「空気を読まないようにしようとする何か」があるのです。

前回の記事に書いたように、私は何かに傾倒しすぎてはいけないとどこかで思い続けていて、なおかつ何かにのまれてはいけないと思っているのですね。

そんな私にとってこの塾の空気感は作られすぎていました。私は少し戸惑いました。

やっていけるだろうか?

これから模擬授業、そして本格的な業務……。

少々長くなってしまいました!今回はこの辺にしておこうと思います。

私は、私であることができる場所はもしかすると此処やブログ用のSNSや原稿の上だけなのかもしれません。

しかし逆にいうと何かしらはある。

全くないわけじゃない。

そう考えればまだまだ頑張れる気がします。さて、今日はホスピス的塾に行く日……。

兎にも角にも、今回もお付き合いくださってありがとうございます!続編、ついにホスピス的塾の中核を語り始めるかもしれません!お楽しみに。

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