夕暮れが近づく頃、どこか生ぬるい風が吹き、服は淡く汗ばむ。潔さに欠けた半端な熱が空と地面の間に挟まって行き場をなくしている。
そんな夏の夕刻には、夏祭りを思い出します。小学背や中学生の頃に友達といった地元の夏祭り。そのときは友達もたくさんいました。でも今はそれもごく少数になりました。私が大人になったせいもあるし、私も皆も流れに押し負けてずっとあの頃には止まっていられなくなったせいもあります。
私はいつもコンビニにコーヒーを買いに行くとき、その夏祭りに向かうときのような風を感じて悲しくなります。あの高揚感、汗、財布に仕込んだお小遣い。
今年は疫病で夏祭りはありません。あるいは、あったとしてももう何も思わないかもしれない。彼らとどう話していいかわからないと思うからです。
うまく言葉が紡げない。それは空虚な音の振動となって空中に伸び、花火の煙に紛れてどこかへ行ってしまうだろうと思うのです。
良い返しも、ちょっとした冗談も言えないのです。
まるっきり、まさに木訥なのです。
特に悩んでいるというわけではないのですがね(笑)
もとはおそらくどこかのタイミングで私が変わってしまって、彼らに何も言えなくなったのだろうと思うからです。そしてその変化はきっと私の根本のためには悪いものではなかったのだとも思うわけです。
夏はやはりあまり好きではないなと改めて思う。
昼は暑くて暑くて見えるものや感じるものが薄くなる。夏の夜は、夏祭りを思って感傷的になってしまうから。
夏はそのようにして私に大きな足跡をつけながら”ドタドタ”と過ぎ去り、やがてのっそりとしたやさしく涙もろい秋がやってきます。
それまでじっと、夏の風を感じながら色々なことを考えようと思います。そういう時間も人間には必要だろうと思いますからね。
この夏が、素敵な夏でありますように。
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