映画『ノルウェイの森』を再鑑賞。言葉の選び方、間の取り方、全てが心に刺さる

映画

 なんだか突然映画ノルウェイの森を鑑賞したくなり、深夜に一人せんべいに齧り付きながら映画を見ていました。

改めて観てみると、やはりこの映画をつくるということに凄まじい熱量が注ぎ込まれていることがわかります。

詳しい解釈はキリがないため、今回は映画表現という意味での感想に留めますが、興味のある方はぜひご覧ください。

あまりにも素晴らしい映画だったので誰かとこの映画についての話がしたいですが、お付き合いいただけるという方はぜひTwitterのコメント欄にでも何かお書きください。

<私が好きなシーンはやはり緑の家のシーン>

 私は緑の家で雨の中二人で話をするシーンがとても好きです。

これは本の中でも最も好きなシーンで、これを文章として書いた村上春樹も、この映画の監督であるトラン・アン・ユンも、生粋のロマンチストなのだろう、と思わずにはいられません。

雨の音がする中で、雨の日特有の青みがかった光の中、影を作った二人の顔が浮かび上がり、

「ねえ、私付き合っている人がいるの」

「なんとなくわかっていたよ」

「ねえ、ワタナベくんは好きな人いるの?」

「いるよ」

これだけの会話を大きく間を取りながら展開させるこのシーンは、他のどのシーンよりも情緒的で、悲しく、胸の底に訴えかけてくるようなエモーショナルな雰囲気があって非常に好ましく思えるのです。

私は緑というキャラクター自体もなかなか好きです。強くあろうとしていながらも、真剣にナイーブさを抱えていて、その中で的確な表現を使って愛を語ってもいる。

そのことは会話の節々にももちろん出てきますが、最もよく表されているのは彼女がマルボロを吸っているというところではないでしょうか。

何かに縋りながらも、きちんと現実を生きていく強さを求めるその気持ちがマルボロなのではないかと私には思えたのです。

そのことを映画的なあらゆる力を使って表現しているこのシーンが非常に好きなのです。

<映像というコンテンツが出せる最大限のレベルの文学的美しさがこの映画にはある>

 映像というものは、音、画角、セリフ、間、光などそういったもので構成されていますが、この映画ではそれらが全てずば抜けたポテンシャルを発揮していると言えます。

それはワタナベが構内を歩くシーンで学生運動の活動の波の中を歩かせていたり、螺旋階段を上がる際にわざと画角を下からとるようにしてそれを回すことで階段の様子やワタナベの精神状態を表現するなどされているのです。

また直子が死んだことを足を使って表現していて、その上でワタナベの家でレイコさんの足が地について並んでいる所を一瞬でありながらもしっかりと描いているところがまたさらにナチュラルで粋な表現に思えます。

このように幾つもの素晴らしいシーンが、その撮り方によって作り上げられており、その感性に心から感心し、尊敬の念すら抱きました。

私も文章という媒体ではありますが、そうした素晴らしい表現ができるようになりたいと思います。

この映画を見て、実際に私自身も、最近失いかけていたナイーブさや独特の胸の高鳴りを取り戻すことができました。

これをバネに良い文章を書きます。

それでは、今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました。

おそらくこの映画は何度も見ることになるでしょうから、その時にはまた記事を書きます。

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