がん遺伝子srcが実は受精を助けていたという事実を小耳の挟んで考えたこと。

雑記

 こんにちは。昨日、夜遅くに帰宅するとがん遺伝子srcというものの美しき存在価値についての番組がテレビに映っていました。

そもそも人がよく発症するがんはこのsrcに異変が生じることを根本の背景に持っています。

つまり、srcそれ自体には毒性はないけれど、そうした危険要素も孕んだ諸刃の剣であるということなのだそうです。

このsrcは精子が卵子に到達したときに卵子の中に道を作るような働きをしており、また代謝の際の循環等を支える力もあるそうなのです。

これは生まれたその時から我々の体の中に存在し、こどもの段階ではもちろんのこと、大人になってからもその生命維持を支えているということなのです。

そうした知識を昨日のテレビからぼんやりと吸収したのですが、私はこの話をどういうスタンスで聞けば良いのだろう、と思いました。

テレビのゲストたちはこれを当たり前のことと捉え、自分に変えようのない事実だと思い、「しらなかった、すごい」と感嘆の声をあげていたのですが、私は怖くて怖くてしかたなくなりました。

私たちの世界はやはり、目的論的である可能性も否めないのではないか。

それはもちろん私は科学などの知識はないゆえ、正しい見解かといわれると首を捻らざるを得ないのですが、そんな気がしてしまったのです。

人は必ず死ぬ。

それも程々のタイミングで。世界が溢れない程度に、でも、世界がスカスカにならない程度に。

人は毎年男女ほとんど同じ数ずつ生まれる。

srcは人の中にあって、人を滅ぼすこともできる。埋め込まれた時限爆弾みたいにそこにある。

しかしそれでいて気まぐれに人を生かしてみたりなんかもする。

全て何かの意思に基づいているみたいではありませんか?

単に世の中の摂理が、なんて言ったら、あるいは科学的でない、なんて言ってしまったら後にはきっと何も残らないから、私はゆっくりその「意思」みたいなものを理解してみたいなと思いました。

こういうことを考えていると怖くなりますから、記事はこの辺にしてこれからゆっくりそれこそ生涯に渡り、考えていこうと思います。

それでは今回も、ここまでおつきあいただきありがとうございました!

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