人とはなすことについて

雑記

 およそ毎日記事を投稿することを目指して活動していますが、昨日はあげていませんでした。久しぶりに地元の友達とご飯を食べに行っていたのです。申し訳ありません(>人<;)

私は思えば近頃、このブログのシステム技術面をフォローしてくださっているS氏と相談をしあうか、アルバイト先の人との会話でしか言葉を発していなかったように思うので、どうも木訥さ加減が増したような気がするのです。

文章での会話はあまり緊張しませんので、Twitterなどではとても楽しくコミュニケーションが取れるのですが、それでも結構食い気味にこられると少し萎縮してしまいます。

だからこそ自分と周りとは、それぞれ独立したものとして見て、いやに深入りしないことがベストなのかもしれません。

 そんな風に近頃の私の対外関係を考えながら目的地に到着。

本を読みながら友人を待ちます。

しかしすぐに彼女は現れました。私たちが同級生としてともに日々を過ごしていた時に比べ、服装、髪型、あるいは化粧、全てにおいて進歩していました。

私もおそらく変化したのだろうとは思いますが、やはり女子はすごい。話を聞いていると、その中身まで、強くそして次のステージに行くための馬力を持つ素敵な女性へと変わりつつある様子がうかがえました。

中学生の時はじめのころ一緒にテニス部に入ったのですが、彼女はすぐに辞めてしまったのです。そのことがずっと心残りであったようで、高校ではしっかり三年間吹奏楽部を続け、短大そして就活も頑張ってきたようです。

そして見た目のことにおいても、変わりたいという気持ちを持ったそうで、前髪を作ったりメガネをコンタクトに変えたりしたそうです。

素晴らしい。

そんな彼女は最近恋をしているそうで、どういう風に食事に誘ったら良いかなどの相談に乗りました(笑)

彼女は大変おしゃべりなので、たいてい彼女が何か話していて私が相槌を打ちながら聞いたり何か途中で意見を求められれば発言すると言う感じで話をしていました。

基本的に私が話しても彼女は自分の話をしたがりますからね(笑)

でも私は正直自分の話をするより話を聞いて意見を出す方が好きなので、とても気が合います。

結局自分の話などたくさんしても何も発見がないのです。わかりきった事実を話さなくてはなりませんからね。

そんな形で楽しい会食は終わったわけですが、改めて私は人と関わる時には相手の話を聞く側でありたいということがわかったわけです。

また、私と同じく木訥な相手と自然な形で話をするきっかけを持つことも良いかもしれません。

そしてできれば一度に対話する相手は少ない方が良い。

そう考えると、「興味を持たないと」あるいは「話しかけにいかないと」始まらないというのは苦手なのだろうと思うのです。

つまり共同体に自分から入ることです。それが苦手なのです。

もしそこで皆が皆「多くの個人は独立している」という考えのもと動けるなら、共同体であってもそれは形だけなのでそこで仕事や何かの活動をすることはできるのだと思いますが。

誰かと話すことは、その場のコミュニケーションの意味だけでなく、自分に対する発見をもたらしてくれるのだと思われます。

負担にならない程度に誰かと関わりを持ち続けるのはその意味でも良いことなのかもしれません。

それでは今回はこんなところで。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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