破茶滅茶な母はとっても正しく人間だった

雑記

 最近、実家を出て、大学をしばしばすっぽかしながら、作品を書いたり本を読んだり、アルコールを飲んで好き勝手な時間に帰宅したりしなかったりしていたら、なんだかふと自分の母親のことを理解できたような気がしました。

それはちょうど、わけのわからない禅問答の中で何かの拍子にふと悟ってしまうような、多分そういう感覚に似ていて、実は結構突然でした。

部活、受験勉強、塾のアルバイト、そうしたひなたにあるような環境で自分を清く正しいと思いながら生きている時には見えていないものが多分それなりにあるのだと思います。

自分がどこに向かっているのか、いまいちわからなくなることもありますが、今はただ真面目に文章を書いていればいいのだと思います。それさえしていれば多分死んでしまうことや母親のようなミスマッチな人生を送ることもないのだろうと……。

 さて私の母親はどういう人であったかというと、一言でいえば、「一見破茶滅茶で芯のない人」です。

人当たりは柔らかく、いわゆるいい人なのですが、絶対に深く関わりを持ちません。例えば職場で人と仲良くなっても、外に遊びにいくことは滅多にないというタイプです。

そして、意思決定にあまり芯がありません。そのためだいたいの決定事項は人任せで逆に母が決めることになると深く悩み取り乱し、ルーティン的な思考回路に飲み込まれていってしまうような人でした。

また、その芯のなさは生活のあらゆる面に散見されました。食べ物にも、家のレイアウトにも、何にも興味がありません。彼女は流れるまま、スマホを見たりテレビを見たりしていました。唯一執着があったのは飼い猫だけでした。

父と母はそう仲が良かった訳ではないので、母は他の異性に移り気をすることもあったみたいですが、それもだいたいにおいては流されるままに関係を持っただけで、大して意味のないものでした。一人だけ、本当に執着した人がいたようだったので、つまり母は家の猫とその一人の男性以外には全く執着心がなく、ある種日和見主義的な行動選択をする人であったのです。

また母はひどいヘビースモーカーなのですが、それも彼女としてはことの成り行きの果てにそうなっただけのことであって、別に吸うことにも吸わないことにも執着がないのです。ただ禁煙は大きく体力や気力を使うから、半ば消去法的にタバコを吸い続けているのです。

今でも母は、自分に与えられた人生の時間を暇つぶしのように生きている感じに見えますし、やっていることは、流れに身を任せた結果なので支離滅裂なこともしばしばあります。

私は子供の頃から、そんな母親を見ていて、「母はどうしてタバコを吸うんだろう」とか「母が誰を愛していても構わないけれど、じゃあどうして結婚生活をやめないんだろう」とか「どうしてそんなお金の使い方をするんだろう」などと思っていたけれど、やっとこの年齢になって、その意味がふと全てわかってしまった気がするのです。

大きな意味をなにか一つの物事に持たせないことが母の中にある芯であって、そのことでどうにか自分の生を維持していたのだろうと思えたのです。

生きる上でなんの欲もなく、知らず知らずのうちに間違いや裏切りを積み重ねてしまったような個人にとっては、目の前のことに目を向けて視野を狭めることがある種もっとも有効な生きる手段であり、ほとんど唯一の生存戦略であるのでしょう。

それを自覚し、何も求めず、生産性のあるなしを議題に上げることなく人生を消費する母は、どこまでも人間的で、またおそらく正しかったのでした。

母とはそもそも結構仲良しですが、近頃は付き合い程度なら私もタバコを吸えるようになったので、より理解が追いついたような気もするのです。

しかし怖いのは、自分が少し母親に似てきているというところです。前はもっと合理的で、計画的で、生きることに希望を持った、そういう人だったような気がするけれど、今は自分という存在の確実性をたしかめながらいい文章を書くために生きるような生き方をしているのです。

であるからして、以前はとても執着していたような気がする将来的なことや人から評価されるであろう地位や資格にはとんと興味がなく、ただ信じたいものを信じてどうでもいいものはどうでもいいものとして扱えたらなと思うような、そういう選択の取り方をするようになったのです。

私には小説家になりたいという夢があるので、母ほど無気力ではなく根本的に異なりますが、でも傾向としては似たような生き方になりつつあるのかなと思わないでもないのです。

 

にしても、そんなことを生活の中で思えただけ、私は最近余裕があるのかな。(笑)

好きな時にぼんやりとして、好きな時に好きなところへ行って好きな文章を書けたらなあ。それができたらもう少し自分がどんな人間か見えてくるような気がするのですが。

しかし生活も維持していかなくてはならないので、それをしつつ、自分がどんな人間でいったいどんな文章が書けるのか、時間をかけて少しずつ考えていこうかなと思います。

それでは、毎度のことながら、今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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