この間、十月十二日にかからいすは二十一歳になりました。
しかし二十一歳とは、よくわからない年齢です。考えれば考えるほどに難解な数字です。
その前のことはよく覚えていないけれど、十八も、十九歳も、二十歳も簡単でした。
強いて言えば、十八の時に、『ノルウェイの森』を読んで、二十歳になるのが怖かったけれど、なってしまえば怖くなかった。
怖かったのは、作中に登場する直子が、二十歳の誕生日に「人はみんな十八と十九を行ったり来たりするべきだ」と言って泣いたからです。その、変化を恐れる心は、その時にはわかりませんでした。
しかし、それを先日、二十一になったときにやっと理解したのでした。
二十歳という限定された、特別な、許された若さは、十九の私の心を踊らせました。なんだか一生二十歳でいられるような、そんな気持ちさえしていました。それだけ二十歳というのは、多くの人に意識されすぎていて、その実態以上に意味を持ちすぎていました。
そして世の中のいいところを全て詰め込んだみたいな、非現実的な輝きを持っているから、その後の人生は全て逆光で見えないような、そんな心地さえしたのです。
しかし二十一歳というのは蓋を開けてみたら、そんなに単純なものでもありませんでした。
自分がふと半端者になってしまったような、自分がノーマルになったような、そういう奇妙な感覚です。カテゴライズされるそのスタートラインのベルトコンベアーに乗ったような……。
二十二歳、二十三歳になる時には、もうそれに慣れて、「ふうん」といった具合に十月を流していたとしたら、なんだか怖いな。
でも今二十一歳であるということがどうにも妙に思えても、ここまで生きていたこと、それ自体は多分おめでたいことだから、それはそれとして受け止めて、祝ってくれた人たちには感謝をしたいです。ありがとう。
ゆっくり、ぼちぼち自分の今に向き合っていこうと思います。
それでは今回も、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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