少々グロテスクな表現が入ります。苦手な方は控えた方が良いかと思われます。
今回は私の嫌いな食べ物について語ろうと思います。
魚が嫌いとはいえ、魚の鑑賞と焼き魚を食すことに関しては特に苦手意識はありません。
魚は生物としてミステリアスだしその造形は私に世界の広さを教えてくれます。それに色鮮やかで、人間なんかよりよっぽど美しい。
焼き魚はもはや生物としての特質を極限まで失った状態といえます。火を通した肉もです。
多分その真ん中が、私の中で受け付けない部分なのだと思います。
生魚は、ほとんどたべられません。また、生であろうとなかろうと魚卵は食べられません。内臓はもちろんです。
それらは、生き物としての特質をあまりに持ちすぎているのです。つまり私はそれを食すとき、生き物をモロに食べていると感じるのです。
生物の体をそのまま……
そう考えてしまうのです。彼らはどう生きてきたんだろう?卵から私の歯によって今弾けたのは一体なんなんだ?目玉や足、内臓になるはずだった液体なんじゃないのか?
そう考えてしまうのです。ある種のグロテスクささえおぼえます。
食べてごらんよ、食べてみたら美味しいかもよ。
そう言う人がいますが、これはまったく的外れな話なのです。味の問題じゃなくて概念の問題なのですから。
同じ理論で、生肉のコーナーに行ったり、生肉を見たり扱ったりも得意ではありません。なまのにくをたべることや、(これは焼いたとしても)内臓をたべることなどはできません。
おそろしい心地がするのです。
昔祖父と焼肉を食べに行ったことがありました。小さい頃です。
気づいていませんでしたがそこはホルモン焼き屋でした。
その場で祖父はおそらく社会勉強のために、私に向かって次のように言いました。
「これは羊の肉なんだで!こっちは内臓で……」
私は固まりました。もう食べられなくなりました。
羊なんて愛玩動物でしかないと思っていたのです。あとは毛を刈り取られて羊毛フェルトにするとしか……
それを食べていた。しかも自分が。それが可愛い可愛い羊であるとも知らずに。
それも内蔵です。もう私の中では食材ではありません。それは生き物です。
もう立ち直れませんでした。それきりホルモンは食べられなくなったのです。
今でも内臓を食べると聞くとゾッとします。
生肉や生魚も、生きている感じがして苦手なのです。そしてホルモンのぶにぶにとした食感に似ていますからね……。
今日は私の嫌いなものについて語ってみました。嫌いというより苦手と言った方が正しいかもしれませんね。
きっと克服できないでしょう。何もかも考えすぎるし、そのルーツを想像してしまって答えを答えとしてそれ単体で受け入れられない性格なのです。
無理したところで何も生まれないですしね!
では今回はこんなところで。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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