オブジェ的性質という造語をつくってしまった!!

雑記

 こんにちは。最近はライオンズゲートというものが閉じた影響からか、少しだけ調子が良いみたいです。(急なスピリチュアル)

そんな中で思考をしているとしんどさの隙間みたいなものが出てきて、そこにおいて文章を書く気力が出てくるのではないかと思うのです。

そのようなわけで今日はブログを書こうと思います。

 最近いろいろな人と話し、自分自身とも対話する時間の中で、私はオブジェ的性質を持ち合わせているいわば「ただの人」なのではないかと思ったのです。なかなかしっくりくる造語でしょう(笑)

私自身がオブジェ的であるということからもわかるように、私が日常好むものもまたオブジェ的なものです。

要するに、日常的意味であったり機能的な観点の意味のようなものから離されたある種幻想的で空想的な(実質的なという意味では無意味とされるような)ものが好きなのです。

なのでストラップよりはぬいぐるみ、時計よりは腕輪、英語よりは国語、カウンセリングよりは星占い、のような「好き」の選択をしています。

そんなことをしているうちに、「空想的なもの」が好きと同じくらい「実際的なもの」は絶望感を覚えるから嫌いだという側面も出てきました。

すると私は社会生活のようなものから徐々に離別させられ、理想だけが膨らみ、それを叶えられない自分が嫌になり始めました。

そしてそんな自分がまさしく「オブジェ的性質」を有していたということに気づくに至ったのです。

空想的な言い換えれば観念的なことを愛し崇拝するうちに、実際的なものの価値を感じられなくなりました。その上、観念的な事柄というのは非常に理解しづらく掴みにくいもので、私は実際の私と観念的な事柄との間にしばしば距離を感じました。それは非常に悲しいことで、私はどこにも私の性質を見出すことができなくなりました。

そして私は今一体どのような存在だったかということを考えたときに、一つ出てくるのは「ただ若い女の子である」ということです。

それ以上の意味は特にありません。「ただ若い女の子」の「オブジェ的な」何か、であるということしかいえないのです。

私が今手にしているものはおよそ全て「若い女の子」であるが故の幸福でした。私が今放棄している実際的な事柄は、「若い女の子」であることによって許されているものたちでした。

私はそれを使うこともできるし持て余すこともできるけれど、私が「ただ若い女の子」のオブジェ的なものであれるうちに、実際的なことも身につけ、自分の観念を見つけるしかないのだと思います。

そしてこの記事にしても、私がただ若い女の子だから許されるのかもしれないと思うと、なんだか途方に暮れてしまいそうです。

……

色々思ったことを思ったままに書きました。最近は周囲の人にも生命エネルギーが感じられないとよく言われますが、少し元気を出して、目の前のことからやっていきたいです。

オブジェ的なことを好きでいながら、自分のオブジェ性質にはうんざりするなんて少し我儘なのかもなあ。

かといって佯狂に徹するのもきっとつらいことだろうから、ちゃんと時間をかけて私をわかっていこう……。

とにかく暑いから、余分なことをたくさん考えてしまいます。早く夏が終わりますように。

それでは今回も、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。水分いっぱいとってね。

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