文章を書くということがライフワークになったらいいな

雑記

 日々感じた感覚や身に起こったことを言語化し、それをさらに素敵な言葉で語ることを媒体にして何か自分の世界線を形に残していく作業。

多分それが小説を書くということであり、その「媒体」の精度を上げていく営みの一つにこうしたブログの執筆などが有効な手段と言えるのだと思います。

私は的確に感覚を言語化し、なるべくできうる限りでクラシックで素敵な言葉を使いたいと常々思っております。

それゆえ、話をするときも言葉が出てくるのが遅かったり会話にしてはいささかかたい言葉をつかってしまったりします。

それに言葉選び同様、何か行動をするときもどうしても長考気味になってしまうのでどうしても行動がワンテンポ遅れてしまい、非常に仕事ができない……。

そんな私は人付き合いの中であるいは大学などの組織の中でうんざりすると、ああ本当に文章を生業にできたらいいなあ、と心の底から思うのです。

文章を書くということで世界が違って見える。私のペースで生きることができる。

これはもちろんですが決定的なのは「小説家的人生観」に私が理想を見ているということです。

良い文章を書きたいと思うと必然的に、良質な感覚を得て良質な言語化を試みたいとおもうものなのですが、その営みが人生の核心に迫るにあたって重要なファクターになると思うのです。

もう少しわかりやすく具体的にいうなら、情緒が最優先となる生活であると思います。

合理主義とは対極にあるような考え方で、またそんな生活の中では「悲しみ」や「絶望」が必要不可欠ですから、目指す方向性が必ずしも幸せの境地ではないのです。

それは面白いことです。普通の考え方の上では悲しみと絶望は避けるべき事項でありますが、この生き方ではどちらかというとそれはそれとして受け入れていくという方針を取りつつ、その中にある小さな小さな宝物を掘っていくような力の使い方を続けるという感じであると思われますからね。

しかしそれは選ばれしひとにしかできない生活の営み方ですので、私はただひたすら書きたいことを書きたいように表現するということをひたすら極めていくより他ないのです。

どうしても何かに影響されたりパタリと書けなくなったりする時はあるけれど、いつか、これはという作品を書くことができたらいいな。

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