瓶に出会い、そして思うこと。

雑記

 髪の毛があまりに秩序を乱し、手櫛ができないほどまで傷みました。ヘアオイルを切らしていたからです。

もう我慢ならないと思い、近所の薬局まで買いに行きました。するといつも使っているものがないのです……。

予算や質など色々なことを考慮しつつ私は「いち髪」のヘアオイルを買ってみることに。実に千円。

これ、実際箱から出してみるとなんと瓶入りであったのです。そして蓋は金色。

捨てるのは少々億劫ですが、気に入りました。

瓶にはやはり重々しさがあり、そして光の吸収、反射が美しくなされます。

その上この黄色というセンスが、いかにも昔風で好感が持てますよね。

プラスチックは現代において素晴らしい文明の成果であると言えるけれど厚みがなく傷つきやすいのです。その分安価ではありますが。

なんだかそう考えるとプラスチックというものは現代の心のようですよね。

ガラスの強さと美しさ、凛々しさ。そしてそれを持つがゆえの脆弱さ。そういう要素を我々もきっと持っていなければならない。そんなふうに思えたのです。

そういう意味では髪の毛が秩序を乱したことも、そして薬局にいつものヘアオイルがなかったことも実は意味があったのかもしれません。

私がこれからを生きる上で、今と昔、そしてその人々、そういうものに目を向けることができたのだから。

そう考えると周りに瓶なんてものは全然ないのです。

瓶に入っていることにあまり意味がないからでしょうが、とにかくそんな不合理なものは排除されていくわけです。

誰も重々しさなんて求めていない。世の中のほとんどの人がアニメや漫画、テレビ、youtubeに触れたことがあるにもかかわらず、純文学と言われる本を読んだことのない人は山ほどいる。

そして国は国公立大学の文学部を邪魔にし、そして重くて脆いガラスなど排除されていく。

当たり前といえば当たり前のことなのかもしれない。

しかし心のことも世の中のことも、あまり削りすぎてはいけないのだと思います。

大学受験を試みていた頃、まさにそうでした。時間を節約しすぎていて、優先順位を明確に決めすぎていたのです。

勉強時間を取ることが何よりも重要なことで、無駄な時間を作ってはならない。

そう思い込むと、取り組みや信念を空いた時間や心の隙間に埋め込めるだけ埋め込むという作業がなされ始めます。

だから本もさして読むことができず、自然も満喫できない。友達と遊ぶにも時間を気にし、吐きそうになっても勉強していないと頭がおかしくなりそうになる。

豊かさなんてほとんどありません。ではそれで何か得られたかというと結果としてはまずまずに終わっている。

私は大学に入ってからは、もっと自由に豊かにやっていこうと思いました。そういう形で努力する方がよっぽど難しいけれどその分意義あることであると思ったのです。

つまり、時間を削ることは心の余裕を無くす行為でもあるのです。

時間も削らない心も削らない。そのために色々なものを自分の目線からきちんとみて、価値を見出していきたいのです。

このガラス瓶のことだってそうです。くだらないことかもしれないし小さなことかもしれないけれど、輝きを見出せたのです。

そして今はこのブログも運営していますから、そうしたことの記録もできるわけです。

余裕を持ち、削ることに特化しないことによって今は素敵な時間を過ごせているような気がします。素敵な環境も整い始めたように思います。

しかしなんだか心が温かな感じです。ガラス瓶ひとつがこんなにも私に過去を振り返らせ、何かを思考させる。

これからも様々な視点で、自分なりの思考をし、私にしかかけない文章を書くことを突き詰めていけたら良いと思います。

それでは今回はこんなところで。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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