『悲しきビー玉』(2021年むさしの学生小説コンクール落選作)

珈々らいす作品

はじめに

 むさしの学生小説コンクール(テーマ;学校2021+)に応募し、落選した作品の一つです。読み返すとなかなか奇抜なものもあったため、載せられそうなもののみ載せるつもりです。

この作品は載せられるものだと判断したのでこちらにアップします!

短編小説になっていますのでお気軽に読んで頂ければと思います。

ブログの特性上、横文字での表記になってしまっておりますがお許しください。また、落選作ゆえ未熟な点もあるやもしれませんがどうか温かい目でご覧ください。

本編

「ねえ、本当に学校なんて行くべきなの?」

「そんなのわからないよ。まず、何においてのすべきなのさ。」

 僕としては、当然と思っていたことについて改めて質問なんてされたくなかった。その行為は僕を傷つけるという結果しか生み出さないからだ。僕は十九歳だ。人はその歳を若く、未熟で、青いと言う。僕はそういう論を見聞きする度、ラムネ瓶の中の愚かなビー玉になったような気分になる。ビー玉の自由と瓶の存続は同時には成立しないのだ。

「私という人間とあなたという人間においてよ。」

 彼女はそう答えた。彼女はいつも街の図書館にいた。僕の大学の講義が二限で終わり、その後に図書館に行く日も、必ず彼女は先に佇んでいる。そんな彼女に声をかけたのは紛れもなく僕であるし、その行為が彼女とベンチに並んでいるという現状を生み出したのは言うまでもない。そのため、僕が彼女によって不快な思いをさせられてもそれは仕方ないことなのである。彼女は中学生か高校生くらいに見えた。肩にかかる美しい黒髪を携えていて、肌の色はまさに不純のない白だった。瞳はどこか曇っているようにも、優しげにも感じられた。

「でも僕はもうその時期を過ごしてしまったんだ。関係ない。」

「そういうものかな。」

「そういうものだよ。」

 彼女はしばらく空を見て、また視線を床に戻した。

「別にいじめられているとかでもないし、勉強ができないでもないのよ。」

「わかるよ。」

「義務という言葉はもちろん、誰かの言葉で引き返すことなんてできないの。」

 僕は考えた。どうしてこの少女に話しかけることになったのか。彼女の読んでいる本を読みたかったわけでもない。では彼女に本を貸したかったのか。それも違う。あるいは僕は彼女の読んでいた本を知っていて、その話をしたかったのか。違う。しかしとにかく彼女は何かしらかの本を読んでいた。そして僕は本を読んでいなかった。当たり前のことだ。ラムネ瓶の中にビー玉が入っていることと同じくらい当たり前だ。

「とにかく君は学校に行かないわけだね。」

「ええ。全てがくだらないもの。」

「全てが?」

「そうよ。あなたは中学生や高校生の頃、もっと言えば小学生の頃、そう思ったり考えたりしたことはないの?」

「それこそくだらないさ。だって行かなくちゃいけないわけだし、自分のデータにバツがつくのだって好ましくはないだろう。」

「そのついたバツは、何において効力を発揮するの。」

「社会生活において。」

「社会とか、馬鹿馬鹿しいのよ。」

 彼女はいかにも忌まわしいものに出くわしたというような顔をして見せた。綺麗な顔に一瞬、神経質そうな皺がこびりついたのだ。しかし僕はその言葉に納得しないわけにはいかなかった。人間が作り出した社会というものに色々なシステムが加わり、その中で飼われた人間たちが呻吟の声をあげている。誰に求められているでもないのに、誰かのためになれるような場所探しをする。しかしその中で本当は自分が財に翻弄されていただけだと悟り、途方に暮れる。そして社会と自分を認識の上でのみ分断し、それをかろうじて一週間の中に適用して生きていく。平日と、休日のことだ。どうせそこに休日があるなら、平日がどうなってしまっても良いのかもしれない。だったら彼女のように、平日につくべきバツなどつきたいだけつかせてしまえば良いのかもしれない。

「でもね、私にとってこれはマストなのよ。」

 彼女は僕の目をまっすぐに見つめてそう言った。

「どういうこと。」

「他の方法で生きることができないの。」

「よくわからないな。もっと詳しく話してくれ。時間がかかってもいいから。」

「そう?」

「ああ。」

 図書館の前のベンチは華奢で、おまけに一つきりだった。そこに二人して腰をおろしていたから、肩と肩が時々触れた。

「つまり学校ってもっと細かく分けるべきなのよ。能力とか、性格とかにおいて。基本的に向上心のない人間は向上心のある人間を見るのが苦しいし、またその逆も然りなのよ。他人を見てしまう環境にあるから自分という確固たるかたちは形成されないし、他人を知るから自分が許せなくなっちゃうのね。そんな場所行きたいって思う?」

「どうであれ、実際はそうでない。」

 僕はそう答えた。なぜそう答えたのかは自分でもよくわからない。でもなぜか彼女に対して無性に腹が立った。僕はただ僕の人生を思ってしまったからだろう。どうしたって変えられないものは変えられないし、そういう不可変的なものを越えようと思ったら逆に自分が変わらなくてはいけない。それはなぜか。この噴飯物のごとき世界より自分の方が小さな存在であり、より可変的であると、そう認めざるを得ないからだろう。それはとてつもなく悲しいことだ。しかしそこで意地を張れば、世界に自分という各人にとっての唯一の固有概念が吸収されていく。結局は自分の方が脆弱で小さいものなのだ。

「私みたいに、なんでも拒絶してしまえば良いのではないの?」

「違うんだ。それじゃ変わらないよ。」

「変わるわ。」

「どう変わるんだ。」

「あなたが、そして私が、世界の中心で生きているということがわかるの。そういう変化よ。」

「僕は中心なんかじゃないさ。」

「じゃああなたが死んだのち、あなたは世界の存続を断言できるっていうの?」

 僕は考えるふりをした。しかしもうすでに答えは決まっていたのだ。体の中のどこかから妙な熱が這い上がり、僕の喉を刺激した。僕はどうしていいかわからず、胸で息をした。少しずつ体の毛穴という毛穴から汗が滲み出てくるのがわかる。口の中からは引き潮のようにすうっと水分が抜けた。それらは全て自然に行われているように思えた。こうなるべくしてなったのだ。極度の緊張状態?いや違う。自我の崩壊?近いけれど違う。僕の人生の否定?近いと思う。でもそのようなことを今までの自分が気にしただろうか。本当に納得していたのだろうか。少し前の自分のことすらうまく思い出せない。なにか、第六感的な部分で感じる。何事も、思い出す必要はないのだと。

「あなたは、あなた以外の何かの目を持ち、何かを知覚することができるの?」

 いずれの問いに対しても頷くことはできない。僕は僕を選んで生きていくべきであったのだ。誰にとってのすべきなのか。紛れもなく僕自身にとってだ。そのなんとも言えない寂静感とはいかにして僕を僕にたどり着かせるのか。あるいはそのような気はどこにもないのか。彼女はどこか別の次元にいるようだった。吹いてくる風のリズムと二分の一テンポほど遅れて靡く髪。無機質な声。瞳の不思議な輝き。

「なんにもできないさ。」

「素敵よ。」

 ラムネ瓶のビー玉は、瓶を溶かして外へ出た。そんな情景が頭に浮かんだ。彼女は微笑んでいた。

「ねえ何かに従ったりする必要はないの。先生や先輩みたいな上下関係も必要ないの。自分が自分というものの重要性を理解して、そこに合わせたライフプランを考えられる、そういう境地にたどり着くことができたらいいのよ。」

「たしかに先輩に敬語を使うことに違和感を覚えたり、先輩が横柄な態度をとっていることに注意もしない先生が不思議に思えた時期もあったかもな。でも多分何もかも忘れてしまったんだ。自分を強く持たない自分はその要素の全てを何者かに吸収されてしまったとしてもそれは当たり前のことなのかもしれない。」

「ええ、その通りよ。でも弁証法的な価値の見出し方は方法として存在しているわ。だから諦める必要なんてないのよ。どうであればよかったとか、周囲がこうあってくれたらよかったであるとか、とにかくそういう見方は何かしらかの役には立つようにできているの。そうでなかったら人間がそういうことを考える意味なんて無くなってしまうでしょう。」

「君は物事の全てに意味があると信じているタイプなのかい?」

 僕はほとんど反射的に彼女にそう問いかけていた。彼女は不思議そうな顔をしているかもしれない。あるいは自信に満ちた顔をしているかもしれない。小さく鼻で笑うかもしれない。わからないけれど僕は彼女の顔を見る事はしなかった。ただじっと、彼女の言葉を待った。きっとこういう事なのだ。誰もが誰もにこのようなことができたなら、きっと全てがうまくいくし、人間皆自分というものをはっきり知ることができるのだろう。しかし先ほど僕が発言したように、実際はそうではない。だからこそ彼女はここにいるのだ。人間が人間を縛り付けて、それで苦しみ合い、傷を舐め合うような社会とかいう愚鈍な環境に足を踏み入れたくないのだ。

「ええ。だって意味はあるもの。はっきりわかるのよ。」

 彼女はそう言って笑った。そしておそらく本棚の隙間に戻っていった。

 僕は一人、華奢なベンチに腰掛けていた。僕はもうじき大人になる。俗に言う社会人だ。僕は、自分がいなくては自分の世界は保たれないということに気がつかないまま大人になってはいけないのだと思う。いつか、それがスタンダードな概念になれば良い。僕はベンチを立つ。軽くズボンを叩き、小さく息を吸った。花壇に生える芝桜が春風に揺れて鮮やかな生命力を僕に見せつけていた。

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