文章は、きっと読まれるためにあって、読まれたときにものなのだと思う。
私はそのことに今まで気が付かなかったのかもしれない。
多分、私自身が誰かに与えられたテーマとかではなく自発的に書いた文章を誰かに読んでいただくようなことをしてこなかったからでしょう。
この間「有楽町」という超短編をブログに上げてみました。他の記事よりもみてくださる方も多くて、コメントもいくつかいただきました。
私の文章を読んで、色々なことを感じてくださりあるいは考えてくださり、私はとても幸福感を感じました。私という人間にほとんど唯一与えられた真の意欲と独自性の方向性が文章なのであれば、これを読んでいただけるということは非常に意義あることなのです。
私は何だか勇気が持てました。さらに文章を書きたいと思ったのです。そしてその文章も、書き手である私ももっと確かな独自性を持っていたい。そのようにも思いました。
私は私の文章をきっと自分自身のために書いているけれど、それにはきっと多くの要素が絡み合っていて、多くの人が関わり合っている。
だからこそ、文章という形にした自分をより強固なものにしていくことで、読み手にとってもそれがそれが重要なものになっていくのではないかと思うのです。
人生に関しても同じように思えて仕方ないのです。もちろん大学生の今時点での考えですが、強くそしておよそ完成された自己なくして誰かにとって重要な何かを作り出したりあるいは自分がそれになったりすることは非常に難しいことであるのではないかと考えているわけです。
だから私は文章を書くことによって、その文章そのものを高め、私自身のことも高めたい。
こういう考え方を、以前も現在もしていますが、しかし。
今回「有楽町」をブログにアップして思ったのは、それだけでもないということです。そのことを強く実感する機会ではありましたが、他の部分があったのです。
私は、評価されるということについてあまり考えたことがありませんでした。
いわゆるマイペース、我が道タイプです。
ですが、評価されるということがその方向性によって自分の心を少なからず揺さぶるということです。褒められれば嬉しくなる、否定されれば悲しく恥ずかしい。
こういった気持ちを持つことはあるいは当然のことなのかもしれませんが、そこからダイレクトに受ける気持ちを体幹として知らなかったように思うのです。
私は自分の心の感度が上がったように思えて、どことなく充実感を抱きました。
また過去の作品の見直しが終わったらアップをしたいと思っております。また読んでくださると嬉しく思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました♪( ´▽`)
超短編「有楽町」のリンクを、一応下に貼っておきます。
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