鋭かった。その鉄をも曲げるようなあの女の目力はすごかった。女の顔は思い出せないのに目力だけが妙に焼きついた。目の形もわからない。ただ、力だけがわかる。僕の足音を誰かが追っているような、そんな気もした。コンクリートタイルがガタンと跳ねる。ライトアップをはじめた有楽町が騒々しかった。帰りたい、帰りたい。日生劇場の妙に気取ったホルムを、まだ見えてもいないのに感じた。吐き気がした。大理石とプラスチックもきっと僕には見分けられないのに、それなのにどうして僕はこの世の中に紛れているのだろう。
意味もわからないことを呟いてはその言葉の形の美しさに惚れ惚れした。溺れていく、有楽町に。
あの女が歌った。僕のホームタウンの近くの街、大宮で。下を向いてギターを弾く女。所謂ストリートミュージシャン。愛しているのに何故君は何故君は何故君は。そう歌っていた。それでその君とやらはなんなのか、女は語らなかった。その先が聞いてみたかった。
それで僕は聞かないふりをして、鞄を漁るふりをして、少し離れた石の椅子に座ってみる。だけどやっぱり語らなかった。終いには何故君は、の後に私に、と付け加えた。何が伝えたいのかわからない。昼下がりの大宮の汚い空に女の声が消えた。賞賛するものはいなかった。固定ファンみたいなのが五人くらい目の前でその歌を聞いていた。ただ音を聞いているだけで、意味のこもらない拍手を送るだけで、その人たちはよくわからなかった。彼らと水族館の魚は同じものにさえ見える。
そんなことを思いながら鞄を閉じて女を見た。するとその時。彼女はブリーチしっぱなしのガサガサの髪を揺らして僕を見た。確実に、その女が僕を見た。何故君は、と問いかけたのか問いかけられたのか。不思議な感じがした。眼球の奥の方にレーザーでも当てられているような気持ちだった。とにかく焼かれているのは表面ではない。むしろ表面は綺麗なまま、中だけ焦がされたようであった。目線が硬い。痛い。熱い。鮮やか。艶やか。朗らか。それでいて、鋭く、鋭い。それでも女の歌がわからない僕は、有楽町へ急いだ。用事には間に合わなそうである。
ぐらぐら揺れる電車にあの女の目線との相違を見つけたり、窓に映る僕とあの女を想像の中で並べて、並木道を歩かせたりもした。全く合わない二人だった。合っていて欲しいとも別に思わなかった。でもなんとも思わないといえば大嘘だ。だけど本当のこともわからない。
磨きの甘い僕の革靴が隣の老人に当たって睨まれる。謝罪の会釈をしつつ、女との相違を探してしまった。この老人の目に、魅力はない。そしてちょうど僕を乗せた電車は有楽町の駅に止まった。いかにもつくられた車掌の声でその事実は知らされた。そして今に至る。轟音の街に包まれた僕はなんとも場違いであった。嗚呼追われている、大宮に追われている。追われているのに、有楽町にも呑まれていくのだ。気持ちが悪かった。
突然開かれていく空間にほどかれる。足が少し浮いているかのようであった。しかし妙に痛い。薄暗い歩みと豊かな此処が僕をひたすらに攻撃し続けた。
見えてきてしまった。この胡散臭さがなんとも好ましく、悍ましく、僕の世界の一部だった。中身が欲しいのではない。僕は外だけでいい。その圧迫感に包まれにゆくのだ。また呑まれていく。僕の真ん中の心持ちが歪む。赤いカーペットをわざわざ踏んで階段を上がった。僕は統一感の塊と我楽多の折衷を楽しんだ。
汚い革靴から目を離しホールのドアの方を見た。嗚呼、美しい折衷。何故君は、何故君は、何故彼女は、此処に。
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