応募する新人賞の締め切りが近づくなかで、自分の文章について思うことを書き留めておく。

雑記

秋は新人賞が多い……。武蔵野文学新人賞、そして憧れの群像新人賞。

それゆえなかなか忙しいのです。日々無理のない程度には書く必要があります。それも楽しく豊かでありますが、やはり現実に時間がありません。それは痛く苦しいことであり何とももどかしい気持ちになります。

しかしそのように忙しい中でもやはり、日々の記録として、何か自由の証としてこのブログは書きたいのでおよそいつでも書くようにしています。

そして毎日の執筆。どういうものを書いているのか。それは文学賞に応募してその落選が明らかになったものから一部修正を加えつつ、このブログに出していこうと思っております。

しかしもうすでに落選が決定したものも数作あり、しまっておくのもなにかともったいないような気がするので、このサイトに掲載するために修正を加えている途中です。

私の作品は読み直すとどれも、私の感性の中での「美しさ」に主眼を置いているように思えます。

しかし京極夏彦氏のような天才的ボキャブラリーは少なくとも持ち合わせていませんし、もっと現実的な言葉を、人の心に直接感覚として届けられるような組み合わせで連ねたいという思いの方が強いように思います。

私は村上春樹氏の「風の歌を聴け」はまるで歌のように心に直接くる文章だと感じます。歌であれば、歌詞がはっきりと聞き取れずとも、メロディや発音で「切なさ」や「季節」を感じさせることができる。

「風の歌を聴け」も同じようなところがあると思うのです。だからこそ例えば電車で、暇さえあればまた読み直したいと思う。しかしわずかな時間でそれは終わり、また次読むのは少し先になる。それでも十分素敵な流れがそこにはあるのです。

そういう文章が書けたらどんなに素敵だろうと思います。

私は私の感性でしか生きることはできないゆえ、どうしても結局は私にとっての美しさや私にとっての芸術しか書くことはできないのだろうけれど、それでも書きたいから書くわけです。

それゆえ私の小説には物語的な意外な展開や面白さは薄いかもしれません。ただ、一人の人間の生活と精神世界を描くことや、その人間を誰かとの素敵なシーンの上に並べたりすることが好きなのだと思います。

何かメッセージやアンチテーゼとしての文章を書くことも多くあるけれど、基本的には美しさを追求しながら芸術家になりたいその意志のもと書いているような気もします。

それが正しいことなのかそうでないことなのかわかりませんが、とにかく今はそういう視点で書くしかないので書いています。

純粋に文章を読む、あるいは書くことが好きなのですね。そこに芸術性を見出したり胸の高まりを感じることも好きです。

そういう営みで暮らしていけたら良いことだなあ……。

それでは今回はこの辺で。近々作品もあげられたらなと思っています。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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