小林秀雄と岡潔による対談の記録『人間の建設』について

本について

 少し前にこの本を読んで、なかなか感想が書けずにいました。どう書くのが適切なんだろう?と。

しかし書かないのもなんですから、とりあえず何か書いてみようと思います。まあきっと再読する日が来るだろうと思いますので、その時にまた新たに記事にできたらと思います。

まずこの本を読んだ感じたことはとにかく危機感でした。

それは広い意味での危機感でもありますし、個人としてのごく小さなスケールにおける危機感でもあります。

そのことに関して詳しいことを以下の見出しで書いていこうと思います。

個人的な危機感について

 まず第一に、私が創造者そして芸術家になりたいというところにこの危機感は紐づきます。そして物書きになりたいというところにも紐づきます。

まずこの本において使われている言葉がなんとも的確であるということです。対談の記録とは思えないほど、上品でそれでいて的の中央を狙ったようないかにも合理的な言葉、豊富な知識、そういったものが詰め込まれていたのです。

私と比べることもおこがましいのでありましょうが、私などは普段そのような世界にどっぷりと浸かった人間ではないからなのでしょうか。まだそんなに達者な言葉は使えませんし、そこまで立派な知識も持っていないように思えます。

私はまずこの点で、自分には言葉を操ることしかできそうにもないのにこんなことではどうしようもないと危機感を覚えました。

そしてもう一つ。

この本には芸術というものに関しての遷移であったりそのものの性質であったりということが多く語られていました。

芸術。

「いまの絵かきは物をかかない」ということが不愉快なポイントであり、「いまの絵かきは自分の考えたことや勝手な夢をかくようになった」ということを芸術の衰退のポイントとして挙げているのです。

また個性に関しては現代人の考える個性というのは本当の個性ではなく、そもそも近頃は世界の知力の低下により個性というのはなくなりつつあるのだ、ということも言われていました。

私としてはこのことの真意を全て的確に考察することはできないのですが、「いまの絵かきは自分の考えたことや勝手な夢をかくようになった」ということは理解できるしそれが個性と捉えられるものたちの粗悪に基づくのならそれもよくわかります。

絵だけではないかもしれません。本や音楽など、あらゆる芸術がそういうふうに地に落ちはじめているのでしょう。個性というものを正しく捉えられていないゆえ、自分の薄い個性を拡大解釈して創作をしてしまうのかもしれません。

確かに実際、「個性的」と言われるものが意味不明な物であったり、小手先で作られていたりして結局「美」に結びつかずエゴイズムの具現化のようになってしまっているようにも思われます。

「物を描かない」というのはつまり現実に向き合わないということなのではないでしょうか。そこにあるもの、そこにあるものを見て関わる自分、そういうもの一つ一つから目を逸らし、まやかしの個性を持った自分の内側へ引きこもってそれを芸術とでも思わないと生きていかれない。そして創作をする、こうしたプロセスができてしまってその中でできた芸術は荒んでいるのではないでしょうか。

そしてそのようにして生まれた芸術が文化として流布して、人間はどこへも行けない存在になる。

これが芸術の衰退のプロセスのように思えます。そして私にもそうした内向的なところがあるので、少し恐ろしいような心地がしました。

もちろんこの本に書いてあることが全てであるとは思わないけれど、道筋がはっきりと見えてしまうとその危機感がよりリアルなものになることは言うまでもないと思います。

芸術家になりたいなら、芸術というものの進むべき道筋を考え直すべきであると、真に思いました。

広い意味での危機感について

 広い意味での危機感というのは、この人間社会全てに対する危機感です。

本の中にこんな一節がありました。

「真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐ実社会と結びつけて考える。それしかできないから、それをするようになる。それが功利主義だと思います。」

私はこの一節について、非常に同感でした。感動しました。

私はこのことについていつも苦しく思っていたからです。「それは合理的ではない」だとか、「文学なんて金にならない」だとか「科学の絶対視」だとか「便利」とかいう概念です。

私が何か大事にしたいものを大事にしようとすると周囲の人はそういうふうに言います。「あえてここを歩いて行きたいんだ」と言っても「電車で行ったほうが絶対に早いし便利だ」とか、「私は心身二元論を信じたいんだ」と言っても信じることすら許されず「科学的に考えておかしい」とか「根拠はあるのか」とか言われてしまうわけです。

現代社会はこれを絶対の真理としてしまう傾向にあるから知力は衰退し、つまらなくなっていくということなのでしょう。

これに私は大いに同感しつつも、難しいのはそのことが全体に響かないということだなと思いました。それだけはっきりした根拠や仕組みのもと動いている科学や実社会というのは強い物だということなのです。

実際この論議をしている二人も、確実に強い危機感を抱きながらも人々を正しい方向に導くことはままならなかったわけです。

世はいかにも非情です……。

人間の建設

 文化、個性、人類の知力、そういったものの諸問題に立ち向かう刺激的な一冊でした。

本の薄さは『風の歌を聴け』や『ジョン・レノン対火星人』レベルなのですが、その重みといい、そこから思考する自分の脳の驚くべき隠されたスペックといい、なかなかにたくさんの気づきがありました。

ひとまず、今回はこんなところで。まだ読んだことのない方はぜひ読んで欲しい一冊です。(ページも少なく値段も安いので)

今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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