今日も大丈夫。日本は平和です。ネットニュースのランキング上位にプリキュアのキャラクターのニュースが上がってくるのですから。
このような一見なにかの役にも立ちそうにないニュースは意外と嫌いではありません。
大きすぎて見えてこない日本というものの安否確認になりますからね。そう考えると日本は大日如来に似たようなものです。大きすぎて、到底我々の知覚では捉えきれないわけです。
私は少しばかり学問の意味で(学問の観点でということを強調しないと信仰を伴うのではないかと思われることが多々ある)仏教に興味を持っています。その辺りの学術仏教についての記述も今後書いていけたら良いと思っています。
まあ、そんなことはともかくとして……。
話を戻します。プリキュアのことですね。
「トロピカル〜ジュプリキュア」この物語に、人魚が登場したというような話でした。ついに現実的な女の子がヒーロー的性格を帯びるということ自体がなくなったのでしょう。
でも多分それで良かったのです。マンネリ化するよりはずっと。そんな元々のプリキュアの良さもそのままあれば、それで。
しかしこの頃は移民問題や個性の尊重、色々な分野でひと枠に括れない人々が出てくるのを寛大な心で受け止めるべきだとする考え方が主流になっていますね。
その中でこのキャラクターは良いのかもしれない。異種間同士でも双方の在り方を理解して何事もなかったかのように接する能力は今の時代には必要です。
昔のプリキュアでも悪者だったキャラクターが改心して仲間に入りたいと申し出た時、快く迎えてあげる既存のプリキュアたちの優しさなどかクローズアップされたりもしていました。
そのような意味ではいつの時代もプリキュアは子供たちそして人間のあるべき姿を指しているのかもしれないですね……。
さて私の子供時代……それはそれは平和な時代には、「ふたりはプリキュア」が大層流行りました。
一番シンプルで、余分な飾り気がなく、現実的なヒーローでした。
しかしこの「ふたりはプリキュア」。女の子の間では熾烈な争いの火種にもなりました。
ごっこ遊びですね。ごっこ遊びの際に、誰役をやるかということで毎度揉める羽目になるのです。
やはりみんな、なぎさかほのかだと、ほのかに憧れがちなのです。
小さい女の子たちも、「女性らしさ」を求めるわけですね。そこでなぎさ役が足らないということになります。
ここで本来であればジャンケンをすべきなのですが、喧嘩になるか押し付けられるかの二択になるわけです。
私はいつもいつもなぎさ役を押し付けられ、仕方なしになぎさ役を演じておりました……。
友達には私が持っていたほのかの人形が欲しいと言われて泣かれ、結局あげました……。
役も人形も、とにかく私にはほのかに関する何もかもが残りませんでした。
仕方ない、縁がなかったのです(笑)
でも私は、何でもかんでも譲ってしまうタイプの人間では無いのです。しかしほのかに関しては特に泣き喚くこともなくなんとか譲れたということは、大した価値を見出してはいなかったのでしょうか。
ごっこ遊びも、「たかが……」と思っていたのかも……?(笑)
だとしたら相当憎たらしい子供ですね。
しかし、そういう見えないところにある心は意外と存在しているということです。それが知らず知らずのうちに自分の意思決定において作用しているのかもしれません。
今回は、「トロピカル〜ジュプリキュア」のローラちゃんをネットニュースで拝見して、それから考えたことをつらつらと書き記してみました。
しかし昔のプリキュアに比べて、原色めいた色よりも、さらにファンタスティックな色味を帯びたキャラクターたちやその衣装が魅力的ですし、顔も少々可愛さが増している気もします。
このような現代のプリキュアも、今の子供たちの思い出になっていくと考えるとなんだか感慨深いですね。
では本日も、プリキュアも日本も我々も皆平和ということで。
今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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