掃除機の音が苦手。

散文

 掃除機の音がどうしても苦手な私。鼓動の刻みが速くなり、静かな私の時間は壊され、雑踏の中で思考にモヤがかかるようなそういう感覚がするのです。

この音の中では何も生産できない、何も生まれない、そういうふうに思うのだろうと思います。

そしてそれはどこか焦燥感に変わり、圧迫感が増し、機械の発する空気の独特な匂いが部屋中に立ち込め、息は苦しくなる。

いくらキーボードをタイプしてもそのタイプ音は聞こえず、私が鼻を啜る音や呼吸をする音も聞こえない。

声を発しても届くことはなく、自分でさえその言葉がうまく発音できているか確かめることができない。

頭と瞼の上の血管にに何かどろどろとしたものが入り込み、そこでもうそろそろ血管を埋めてしまおうとしているような悪意とそれを受けた私の焦りと苦しみと煩わしさが感じられる。

しかし掃除機は生活の一部を確実に担っている。自分では取りきれない埃も掃除機は吸ってくれる。

毎日を過ごす部屋の秩序を守ってくれる。

それはなんとも大きい役割だと思う。

しかし感覚はそれとは別です。どうしようもないのです。

そうしようもないものに縛られるのはすごく悲しい。どうしようもないことで誰かを憎んだり誰かを傷つけたり私が悲しくなることも避けたい。

しかしそうもいかない。悲しみが充満する。やはり何かを許容することができる人は強いと感じます。

いつか掃除機の音が嫌でなくなる日が来たら、またそのことを文章に書こうと思う。

ひとつひとつ何かを乗り越えていくことは広く物事をみられる能力でもあるし、今までの私を捨てることでもあるから少し怖いけれど、それなりの意味はある。

しかしそれは能動的なものではなく受動的な場合が、特にこの歳になると多いように思うから待つしかないのです。

いかにも静謐に、その時を待ち、受け入れ、少しずつ変わっていく。そうして歳をとっていくのだと、掃除機の音が止んだあと、蝉の声を聴きながら思う。

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