女であること

雑記

ひとまず何が言いたいかというと、女であることに疲れる時があるということです。

私は性同一性障害とかではありませんが、だから余計に厄介なところがあります。「女である」という自覚があるからこそ、女であることから抜け出そうとすることができないのです。

それに「女性」という枠の中にあるこの体はなかなか不自由なものです。

しかしよくない部分を出していく前に、かろうじて挙げることのできる良いところを出しておきます。

まずは造形美です。生物学上そういうふうにつくられているということなのでしょうが、曲線が色々なところに見えて形良く見えるということです。

そのおかげで多くのバリエーションの洋服を着こなせるということもあります。

二つ目は髭が生えず、髪の毛が抜けないことです。

良いと思うところはこのくらいでしょうか。

そして逆に女性の体で気に入らないことは何か。これは社会的な話も含めてしていこうかと思います。

まずは多くの場合背が男性に比べ低く筋肉量が少ないことです。高いものも取れない上に足が短い分走るのも遅いです。これは危機的状況の時に最悪の結果をもたらすと思うからです。

そして脂肪がつきやすいこともあげられます。これは子供を守るためであるなどという理論がありますが、だとしたら足も速くなくてはならないし筋肉もなければいけませんので十分な理由になっていません。

三つ目はやはり月一回訪れる苦行です。特に意図的に子供を作り必要がないと思っている私からすると必要のない苦行なのです。

これのせいで私は毎月数日無駄にします。頭がうまく働かないのです。

つまり初めに述べた利を除けば、子供を産むことしか能のない体だということです。これは由々しき事態です。

そして社会的な問題で言えば、無駄毛の問題そして化粧。そういうものの一方的なベクトルで図られる価値が結構問題なのです。

毛はない方が良い、目は大きく二重である方が良い。

このような価値観が生まれるのです。

そのままの状態というのが許されない。しかも、社会的イメージとして「女性は力も何もないくせに口うるさくネチネチしている」というものが共通認識として通っていて、それも好ましく思えない。

一度文章にしようと思うとなかなか量がありますね。(笑)

少なからず男女両者良いところも悪いところもあるのでしょうが、わかる限りでは女性の方が嫌な気がしてその点を色々と書いてみました。

しかし私はそうは思いつつも意識としても女、体としても女なのです。「女である」という、いわば呪いのようなものから逃れることはできません。

つまりこのまま生きていくより他ないのです。

疲れる時は、自分が女であることも、そして人間であることも忘れて本を読んだり映画を見たりするのが一番かもしれませんね。

そのようにうまく折り合いをつけて生きていかないとな。

それでは今回はこんなところで。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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