コロナウイルス予防ワクチン接種がはじまりました。

雑記

タイトルを見て、「わかっているよ。」と思った方、おそらくいますよね。

でもその事実が問題なのではありません。私はこのニュースに恐怖しました。注射が大の苦手だからです。

こういう考え方をするところ、私の悪い部分のひとつです。全体の幸福を願い、この災難を切り抜けようと心を一つにしようじゃないか、そういう考え方がなかなかできないわけです。

今の事態が大変なことであるのはわかっているし、自分も自分の大事な人にもかかってほしくはないです。それに自営業の方にも財力的な意味での元気を取り戻していただきたい。それは紛れもなく心に思っています。

しかし「心を一つに」とか、「全体のことを心から想う」とかそういうことはできないのです。思っても私一人が何か願ったところで何も変わらないし、心を合わせようとして拒絶されたら嫌だからです。

「想う」とか「願う」ではなくて「考える」ことならできます。しかしそれはいくら考えたところで全くの理性的な見方であるので、私の感じ方や深層心理とは全く関係のない話なのです。

そうはいっても、誰かのことを憎らしく思ったり、チャリティー関連の物事や全体の幸福のための活動の元になっている純粋な心を疑ったり、そういう気持ちは必ずしも誰もにあります。私にもあります。ですからそんなに考え過ぎなくてもいいのだとは思います。

 そんな話ではなくて、とりあえずはコロナワクチンですね。

私はインフルエンザワクチンや、もっと言えば採血さえも苦手です。

痛いということも厳しいですが、「故意に針を体の一部に刺している」という事実が私にとっては耐え難い状況なのです。

しかも「筋肉注射」や、「血管に刺すので……」などといった単語を発されてしまうことも体の奥が拒みます。

黒板を爪でひっかく音が胸の奥に直接作用するのと同じような感覚です。それはそれは不快なのです。

筋肉に針を……、血管に針を……。

このように考えてしまうわけです。考えすぎで神経質なのです。この性質には私自身も困っています。しかしまあこの特性のおかげで私は色々なものを多感に感じ取れるのであろうと思うので、まあ難しいものですね……。

しかし私は不本意ながらではありますがアルバイトをしていますので、その関係でワクチンの接種をお願いされてしまうかもしれません。

インフルエンザでも採血でもよく泣いているので多分今回も泣きながら腕に針を刺されることでしょう……。

どうせなら誰かに私を騙して連れて行ってもらいたいくらいです。そうすれば前日などから身構える必要がなくなって作業効率も上がるのに。(笑)

と、このようなくだらないことを考えてしまいます。

しかし東京に住む祖父母は、ワクチン接種のため病院に電話をかけたというのに全く繋がらず、ようやく繋がったと思ったらもう予約が定員に達したということであったらしいです。そして接種が後倒しになったそうですから、我々若い世代のところに回ってくるのはまだまだ先のことかもしれませんがね。

むしろそう願う自分がどこかにいる。不謹慎だとか言わないでいただきたいのです。もちろん思うのは自由ですが、私のような人は辛いのです。(笑)

それは、高所恐怖症なのにも関わらずスカイツリーの展望台の窓拭きをさせられるようなものだし、また嫌いなきゅうりを毎食出されるようなものなのです。

なんだか歳を重ねるにつれて、色々なものが受け入れられなくなっている気がするのです。食べ物や概念、生き方、ものの考え方……。

視野が広がって、だからこそ失望する物たちの数も増えていく……というわけなのです。

だからこそ自分が生きられる範囲も勢いをつけて狭まっているのではないかと考えてしまうこともあります。地球のどこかに隕石が落ちて、そこからその衝撃波が全世界に及んでいくS F映画みたいな感じです。

いつか、自分の立っている場所もなくなってしまうのではないか、と。

まあ難しい話の前に、とにかくワクチンを受け入れるということからですね。

今回はこんなところで。なんの役にも立たなそうな記事を書いてしまいました……。せめてすこしでも楽しい時間が遅れたなら幸いです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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