キーワードからの物語作成・サンプル1

どこにも属さないもの

オーダー内容

 「秋」「熱中症」「ひとり暮らし」「就職活動」という四つのキーワード、そして「未来の展望が見える感じで締めくくる」というオーダーからサンプルストーリーを書いてみました!

 ちなみに、こちらで2208字となっています。

物語

「夏の暮れ」

 僕は大学生で、ひとり暮らしをしている。だから世間の厳しさや社会というものの不条理にも、触れたことがないわけではない。むしろ、そこに関しての理解はある。

 僕の実家から大学に通えないわけではなかった。ただ、僕は自分でひとり暮らしをすることを選んだ。仕送りはほとんどない。ペンキの剥がれた茶色いはしごがついたような古ぼけたアパートに住むしかないのだ。一応エアコンはあるが、電気代節約のためにつけたことはほとんどなかった。黄ばんだエアコンはいつも不満そうに僕のことを見下ろしていた。

 もう九月に入って二週間以上は経過していた。秋は人々を呑み込もうとしているのに、置いて行かれそうな夏がじたばたと横暴な真似ばかりしていうことを聞かない。挙げ句の果て、秋も秋で僕の行手を阻むわけだ。それにもっと悪いことに、秋はそんな夏によって引き起こされた軽い熱中症を引きずっていた。そんな秋が僕に取り憑いてしまってはまったくの悪循環だ。ひとり暮らしの家のベランダからは、橙色の光が差し込む。しかし外を眺めたら、そこにはただ秋のふりをした空が広がっているだけなのであった。僕はふと、自分の今を考え直した。大前提としてひとり暮らしをする道を選んだ僕は正しかったのだろうか。いや、きっと正しかったも間違ったもない。ただ、重要なことは今の自分がそれについてどう思うのかである。結論今の僕はさほど幸せでもない。しかしこの生活はいつかきっと僕のためになるのだ。僕が今望む選択肢を取るのであるとすれば。

 僕は実のところ何にもなりたくはない。どこかに勤めたくもなければ誰かに養ってもらいたくもない。それは捉えようによっては自立心があるということになるのかもしれないが、ある種欲望に満ちた心構えであるとも取れるだろう。しかしそのどちらであっても構わないのだ。どうであれ、どのような言葉も僕の心持ちを変えるほどの力は持たない。

 何はともあれ、僕のこのような考え方はいうまでもなく僕がこれまでの人生で獲得してきたものに他ならないが、死んだ父親の言葉がきっかけでもある。父は僕がまだ幼い頃、あるお盆休みの日にその話をした。僕と父の目の前には鮮やかな紅の西瓜が置いてあった。

 「農家の人にとって、夏が終わって稲穂ができるという時に一番大切にしなくちゃいけないことってなんだと思う?」

 彼はそう、僕に質問した。

 「天気を気にするとか?」

 「違う。熱中症にかからないことだ。」

 「他の病気は?」

 「それは仕方ないことだ。しかし熱中症は違う。夏が終わって今にも秋が来るという時に夏の病にかかってはいけないんだ。お前はそれを肝に銘じて生きて欲しい。」

 「僕は農家にならないのに?」

 「ああ、そうだ。」

 「ふうん、わかった。」

 今ならなんとなく理解できる。用心しながら、あと少しのところを踏ん張り抜くことが必要なことなのだ。また、目的を絞ってそれを大切にすべきであるということでもあった。僕はそれに気がついてから、在りたい自分像を模索した。僕はあらゆるものになりたくなかった。どんな名前も欲しくなかった。「父親」だとか「上司」だとか「部下」だとか、そういうものになりたくなかったのだ。

 父親が僕に伝えたことを守るためには揺るがない、鋼のようで鉛のように重い特別な意志が必要である。そういう側面を持つ言葉でありメッセージであったから僕はその父の助言をそのまま人生に取り入れることにしたのである。僕はその言葉を聞いてからというもの、「何にもならない」ことを実現したくてそのための思考をしていた。「夏の終わりの熱中症」に用心しながら。

 そして今は僕にとってなんなのだろう。きっとそれは夏の終わりだ。秋はそこに顔を出している。涼しい風も時折僕の背中に回り込む。太陽に与えられた熱はわずかに残り、優しく過去を照らした。次に進もうとする僕の背中に貼りつく熱はやたらと熱い。

 僕はひとりおもむろに鞄を漁る。その中から出てきた書類には、「最終・就活セミナー」の文字。嗚呼、時間がない。僕は成し遂げたいことを期限内に成し遂げることができなかった。大学生の間に僕は「なににもならなくて良い」方法を見つけることができなかったのだ。しかし僕は今年の春、誰もが就職活動に勤しむなか、ひたすらに本を読んでいた。がむしゃらに大学時代を学生として使いたかった。仮に就職することになるのなら、どこに行っても同じだと思うからだ。どこに行っても一定の満足感はあるだろうし、どこに行っても僕の欲しいものは手に入らないからだ。

 僕は、この「最終・就活セミナー」にも行くつもりはない。どのようなことになろうとも、僕はこのまま春を迎えたい。いう人に言わせれば阿呆としか言いようがないだろうし噴飯物としか思えないような考え方だろう。でも僕はこれで良い。春、世間の流れに逆らってしまった時点で僕が「夏の終わり」に同じ状況のままぶつかることはわかっていたのだ。ならば「夏の終わりの熱中症」にかからないようにすれば良いのだ。ここまできたからには貫かなければならない。ここで倒れて救急車にでも連れていかれ、俗に塗れた部屋の隅っこでカーテンに囲われながら時間を費やすなどということは御免だ。

 就職活動をしないことでこの半年、僕がどれだけ進化できるかというところが鍵なのだ。たとえ半年後、僕がフリーターになったとしても、もしかしたらここで就活をしたことによる結果より絢爛たるものが手に入るかもしれないのだ。

 哀愁漂う橙の空は徐々に寒色の光を纏い始め、しまいには底も見えない黒に変わった。目を瞑ってその漆黒に手を伸ばす。すぐそこに、闇を照らす優しい月のような光がある気がする。いや、絶対にあるのだ。それを探しながら、今日もこの粗末な部屋で眠りにつくことにしよう。

 明日もゆめゆめ、「夏の終わりの熱中症」に侵されてしまわぬように。

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