映画「花束みたいな恋をした」を観て、私的評価と感想解釈を述べる

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はじめに

 先日こちらの映画を観に行きました。私はこの手の邦画が割と好きで、有村架純や菅田将暉の出演している映画はなかなかの本数見ているような気がします。

 今回は映画の中に出てくるいくつかのフレーズから、少し芸術性やもっと狭めていうなら文学性を感じました。「SMAPが解散しなかったら私たちはどうなっていただろう」、というような表現は結構私の好むところでもあります。

 それからこの物語には、「恋はなまもの」「恋には賞味期限がある」「恋は一夜のパーティー」等々、恋の有限性というところを主軸にしてストーリーが展開されているようにも思えます。

 また、最後の「別れ」についてはもっとも意見が分かれるのではないかと思いますが、特に熱を入れて考察していきたいと思います。

 全体を通していかにも邦画ロマンスと言える深みのある作品なのではと私個人としては思います。それでは、あらすじをざっと書き、その後に感想解釈を述べていきます。

 まだ映画を観ておらず、映画がどのような感じなのか、どのくらいの評価なのかだけを知りたい方は、ネタバレを避けるという意味も込めて「まとめ」のみを見ていただくのが良いかと思いますのでその点考慮した上で記事を読んでいただくよう、よろしくお願いします。

あらすじ

 菅田将暉演じる麦、有村架純演じる絹、が駅で終電を逃し、お互いの趣味を語り合うところから二人は親密な関係になっていきます。そしてある時ファミレスで告白し、正式な交際に発展。

 その後、共通の趣味価値観を有する二人が一緒に映画舞台本等、共有しながら楽しい時を送ります。しかしそんな毎日の中で、お互いの状況は変化していきます。

 絹は就職活動に失敗し、麦は自分の好きなイラストを描くことで生計を立てるため、揃ってフリーターになります。しかしそこで麦は実家からの仕送りがなくなり、ギリギリの生活を送ることに。そこで二人は、二人で人生を歩むために就職を決意します。

 絹は資格を取ってそれを使った事務の仕事に就き、麦はひたすら就職活動を続け、少し遅れて就職しました。そこから、二人は少しずつこじれていくことになります。

 麦は会社に時間を取られ、徐々に余暇の時間もなくなり、社会の人間と関わることで考え方も変わっていきます。自分の時間が会社に使われることの意義は、「絹とずっと一緒にこのまま暮らす」ということから、「しなくてはいけないからする」という方向に変わっていきます。そして、事務の仕事を辞めてイベント会社への転職を検討し、家では趣味に明け暮れる絹に対し、徐々に憎しみの情も湧いてきます。反対に絹も価値観が変わっていく麦に対して嫌気がさします。

 そうして二人は別れることになるというのが大体の流れです。詳しい感想は次のところで述べていこうと思います。

感想および解釈

 まず、言及したいのはこの作品が何を伝えたいのかということです。私は映画を観ても本を読んでも、絵画や彫刻を鑑賞した時でも、その作品が何を伝えたいのかというそこに込められたメッセージ性に目を向けるようにしています。そうすることでそれらを鑑賞することに使った時間を意義あるものに変えていけると思うからです。

 私が思うに、この作品は「現代の人々、恋をし得る人への問題提起であり啓発」また、「恋は切なくあるべきだという寂寥至上主義」大きくここに大きなメッセージがあるのではないでしょうか。

 ちなみに作家を目指す私筆者としては「寂寥至上主義者」の気持ちは非常にわかります。現に筆者がそうであるからです。

 さて、初めに述べた「現代の人々、恋をし得る人への問題提起であり啓発」というメッセージの方を論じていきます。

 二人は、出会いの当初大学生でした。まずこの物語の中で「大学生」がどのような存在とされているでしょうか。結論から言うと、自由の象徴であり、いわゆる社会というものの外にある存在なのではないかと思います。そこで二人が結んだ関係は、二人だけで完結した優しい世界を創造させる、そんなものだったのです。

 どこか浮世離れして、社会と隔離された世界観の中に身を落としていた二人は実に綺麗な世界をあの部屋の中に作りました。言うなれば桃源郷、ユートピアです。外に出るべきではなかったのです。ユートピアの存続にはよほど特殊なことをしなくては財を持ち込めないのです。そういう現実性をその二人のユートピアの崩壊をもって示したのでしょう。

 その崩壊の火種にもなったのはまさに「財」です。それがなくては相手とずっと一緒にいることはできない。そう言って仕事を始めた麦が大きく大きく変わっていきます。

 麦の目指すところが以下のように変化していくのです。

イラストで生計を立てること→(絹との出会い)→絹との現状維持→恋愛感情を持ち、昔と同じ関係で同じ楽しみ方をすることではなく、ライフステージに合わせた暮らし

 しかし絹は違います。絹はずっと同じ暮らしが続くということに価値を見出しているのです。麦のいう「結婚」に対し「考えたことなかった」と言いますが、本当に考えたことがなかったわけではないのでしょう。

 おそらく気が進まないこと、そして価値観の変遷を察した絹の最大の優しさが含まれた言葉です。しかし麦はそのことに気がつきません。「いつまで学生気分なんだよ」と思ってしまいます。上に記したような社会の中に用意されたテンプレート、「ライフステージ」を意識し始めたのです。ここですでにすれ違いが生じています。

 そして二人は「恋愛」というものの有限性を感じます。

 人は徐々に何かに染まっていく。学生の時のようなクリアな状態ではいられない。好きなものだけを選びとってそこに埋まって生きていられるわけではない。そのような避け難い現状が二人を引き裂いていくわけです。

 社会も、そこでの人やシステムとの出会いも、何もかも恐ろしいことです……。

 しかし筆者もまだユートピアの創造と維持に夢を見ているのかもしれませんが。だからこそこの変化はより悲しかったですね……。

 そして二人は別れを決意し、最後にデートをします。なかなか楽しいデートでした。

 「なぜ別れてしまうのだろう」とお思いになった方もいるかもしれません。実際に麦は必死に復縁、そして結婚を絹に持ちかけます。しかしここでの麦の言葉は、聞いていて胸が痛くなるほど絹にとっては悲しいものでそして無意味なものでありました。

 麦のそこでの言葉は簡単に言うと以下のようなことです。「またそうやってハードルを下げていくの?」という絹の言葉に対する返答から始まります。

「下げればいいと思う。これから二人で結婚して家族になって子どもをもってベビーカー押しながら多摩川のほとりを歩いて。それじゃあ駄目なのかな。」

 このようなことを言うのですが、絹は首を横にふります。物語の初め、麦の部屋に三日泊まって帰った時、家族に話しかけられて、「今はまだ話しかけないで。綺麗な記憶を汚さないで」というようなことを思っていた絹です。少しだけここでの対応もリンクしているような気がしませんか。

 二人にしか作れないユートピアを作り、価値観を共有したその理想的な日々を、絹からしたら「ハードルを下げた共存」「社会的な共存」によって上書きされたくはないと思ったのでしょう。

 あの二人でなければそこで結婚したかもしれません。しかし二人だからこそ、こうしなくてはいけなかったわけです。そうでないと、特殊な二人が築いた、その美しいユートピアが存在していたという事実さえ、忘れられてしまうと感じたからでしょう。

 すごく、よくわかります。きっと現実に絹と会話ができたら気が合っただろうなと思わないわけにはいきませんでした。(笑)

 そのあとファミレスで二人は涙します。「そして二人は別れた」

 個人的にはこのシーンが結構好きです。

 ここで注目すべきは、二人の流した涙の意味が違うというところです。

 麦は、「もう絹と一生を共にすることはできない」ということに対して、絹は、麦の言葉を聞いて、「もう何があろうとも変わってしまった麦の根本は変わらない。あの時の価値観のままユートピアを残し続けることはできない」ということに対して涙していたのだろうと思うのです。

 楽しい時間を二人で過ごした後、発した麦の言葉には情しか含まれていませんでした。お互いの気持ちが戻り始めたタイミングに出てきた言葉がそんな言葉だったわけです。絹は絶望し、悲しみを感じたはずです。もう本当に戻れないと思ったのでしょう。理由は違えど、二人はもう続かない関係に涙します。そして外で抱き合って言葉もなく別れる。美しい、いかにもロマンスという感じでしたね。

 私は、ファミレス以外の場所であの状況が繰り広げられていれば、あの抱き合ったシーンで終わりでもいいのではないかと思いました。

 または、あのシーンのあとすぐに、別々で暮らしている二人が互いのことを考えている場面に移り、再会の時手を振っているところで終われば、それもまた良かったのではないかと思います。

 あくまで、ロマンスや芸術という観点から見て、です。別れた二人がタピオカを飲んだりしながら仲良く暮らすシーンは、大衆向けにバットエンドを避けるために用意されたシーンだったことは分かるのですが、その上で言及しました。

 そして最後にこの物語のタイトルのことに触れたいと思います。

 このタイトルはおそらく、「花束」の生花としての有限性と「最高の恋愛」の有限性、それからその双方の至高の美しさを掛けてつけられたのではないかと思います。

 また、途中絹の言葉に、「女の子に花の名前を教わると、その花を見るたびその子のこと思い出しちゃうんだよ」というようなものがありましたが、そこもタイトルとリンクしているのかもしれませんね。

 それにしてもこのタイトルも素敵極まりないです……。良い映画でした♪( ´▽`)

まとめ

 しかし全体を通して美しい邦画だったのではないかと思います。芸術的な表現が、途中に読まれる言葉や映像のアングルからも窺えました。

 また寂寥至上主義的な恋愛の描き方をしたただのロマンス映画なのではなく、多く現代社会に飲まれていく人間たちへの問題提起、そんな中での恋愛のあるべき姿というところに焦点が置かれたストーリー構成になっており、なかなかメッセージ性のある作品なのではないかと思います。

 まだご覧になっていない方にはおすすめできます!すでに鑑賞された方は、私の記事が少しでもご自身の考察の助けになれば嬉しいです!

 ということで、今回「花束みたいな恋をした」の私的評価は星五中、星四ということにしておきます!↓

★★★★☆

 今私のブログではあいみょんさん等の楽曲の歌詞解釈、村上春樹さんの作品の解釈および感想などのコンテンツを載せております。もしよろしければそちらもどうぞ(*≧∀≦*)

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!

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